今春で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の第5回は特別編。美浦の名伯楽、国枝栄調教師(70)が4編にわたって語った。第3編は名牝アーモンドアイとの出会いから「牝馬の国枝」「ダービー未勝利」への思いを口にした。【取材・構成=岡山俊明、桑原幹久】
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アーモンドアイは別格だったな。馬が分からない俺でも分かったよ(笑い)。初めてトレセンで調教した時からびっくりした。一生懸命じゃなくても、15-15ですいすいと動く。初めてのキャンターで「えっ?」って思った馬は今までいないよ。秋華賞の時は爪をぶつけたりしてたけど、基本的に丈夫。メンタルが強くて、カイバをよく食べてフィジカルも強かった。3歳の時のジャパンCを2分20秒6で勝った時は、時計がぶっ壊れてるんじゃないかと思ったよ。
プレッシャーは当然あったよ。だってG1しか使ってないから。この話だけでもすごいよね。どんどん相手も強くなっていくんだけど、その度に別の面を出してくれてね。ようやく勝ったっていうんじゃなくて、毎回ぶちかましていっちゃう。そりゃこの馬でダービーと凱旋門賞だなっていう気持ちはあったよ、当然。思いはいろいろと伝えたし、まあそこら辺はいろんな判断があるから。当時、ウィンクス(G1競走25勝)とトレヴ(13、14年凱旋門賞連覇など)が世界的に強い牝馬として活躍していて、戦ったことはないけどアーモンドアイもそういうクラスの馬だったと思うよ。
当時の18年は、うちのコズミックフォースに石橋脩(騎手)が乗ってダービーで3着に入った。石橋は牝馬のラッキーライラック(オークス3着)にも乗っていたから「アーモンドアイとどっちが強い?」と聞いたら、当然うちの馬だって。3段論法から言えば…。ダービー出てりゃな(笑い)。21年にダービー5着のサトノレイナスもいいレベルにあったと思うよ。
ダービーは03年にマイネルソロモン(18着)を出してから、9頭出したけど勝てなかった。世界的に、競馬を知らない人にも分かる象徴的なレース。ダービージョッキー、ダービートレーナーと言えば一言で分かる。その称号は欲しかったなとは思うけど、やっぱりそのためにはダービー第一でいかないと。そういう姿勢が必要だったかなとは思うよね。
アメリカで言えばもっとシビア。ダービーを勝つために、各地に走る馬がいればそれを馬主が買い取って、上位の厩舎に転厩させる。ダービーの称号だけってなれば、トライアルを勝った馬を買ってもらって走らせる。それが一番手っ取り早い。でも、日本では生産から始まって育成、レースと行く中で、俺たちの馬っていう意識が強い。だからすぐに転厩とは、なかなかそうはならないけどね。
アーモンドアイが活躍し始めてくらいから「牝馬の国枝」ってよく言われたけど、性別で特に何か変えたことはないよ。結局うがった見方をすれば、男馬でいいのが来ないから牝馬で目立ったんじゃないのかな。何も特別なことはないよ。
残りも短いけど、まあやり残したことはそれなりにあるわけだ。調教師としてもそうだけど、それ以外のところでもね。(つづく)
◆国枝栄(くにえだ・さかえ)1955年(昭30)4月14日、岐阜県生まれ。東京農工大卒。78年に美浦・山崎彰義厩舎で調教助手となり、89年に調教師免許を取得。90年開業。98年ダービー卿CT(ブラックホーク)で重賞初制覇。99年スプリンターズS(ブラックホーク)でG1初制覇。10年アパパネ、18年アーモンドアイで2度の牝馬3冠制覇を達成。07年有馬記念をマツリダゴッホで制覇。JRA通算9508戦1121勝。現役唯一の1000勝以上で同最多勝。JRA重賞70勝(うちG122勝)。19年にアーモンドアイでドバイターフ制覇。

