2年ぶりのセンバツに臨む球児や学校を「どっちも勝て~前哨戦 東西対決」として全3回で紹介。最終回は、東西伝統校対決。北海(北海道)は参加32校中、唯一の19世紀創立で、創部も最古。大正末期創部の県岐阜商は、公立校歴代最多となる春夏甲子園87勝を誇る。

20年10月、秋季全道大会準決勝の知内戦で完封した北海のエース木村大成
20年10月、秋季全道大会準決勝の知内戦で完封した北海のエース木村大成

1885年創立の古豪、北海が春夏通じ51回目の聖地で初の日本一を狙う。野球部創部は1901年。創部120周年の節目にチャンスをつかんだ。最速145キロのエース左腕、木村大成(2年)は「そういう節目の年に行けることを誇りに思う。1つでも多く勝って北海の名前を全国にとどろかせたい」と意気込む。

春は63年決勝で下関商(山口)に、夏は16年決勝で作新学院(栃木)に敗れ、最高成績はいずれも準優勝。宮下朝陽主将(2年)は「やるからには全国1位を目指したい」と初の頂点を目標に掲げる。北海中時代の1924年(大13)夏には、甲子園完成後最初の大会の開幕試合で静岡中を破り、一番乗りで「聖地1勝」を決めた。令和初の大会で大正、昭和、平成に続く“4元号勝利”を挙げ、弾みをつける。

センバツ出場を決めた北海道のチームは通常、雪の多い2月に土を求め、北海道外で合宿を張るが、今回はコロナ禍で予定していた神奈川合宿が中止に。札幌ドームや日本ハム、社会人野球の北海道ガスの室内練習場など、道内屋内施設で調整する。同校OBでもある平川敦監督(49)は「厳しい状況の中、やれる環境でしっかり準備をしたい」。雪国のハンディを乗り越え、10年ぶりの春に挑む。【永野高輔】


20年1月、選抜出場が決まり古田憲司校長(左)と握手する県岐阜商の鍛治舎監督
20年1月、選抜出場が決まり古田憲司校長(左)と握手する県岐阜商の鍛治舎監督

高校球界屈指の伝統校を率いる県岐阜商の鍛治舎巧監督は69歳だが、LINEもZoomも使いこなす。イマドキの若者と目線は同じ。「日々、新たですよ。毎日、新しいことを積み重ねていかないと」。16、17年に秀岳館(熊本)で3季連続甲子園ベスト4。18年に監督で母校に復帰した。

県岐阜商は1925年の創部。100周年も近づく。「それまでに何とか100勝したい。あと13勝」。春夏甲子園通算87勝は公立校史上最多。だが春3度と夏1度の優勝は全て戦前だ。選出されていた昨春のセンバツは中止。夏の甲子園交流試合に出場したが、15年春を最後に聖地でのトーナメントからは遠ざかる。

再建を託された指揮官はチームにはびこる停滞感を一新した。象徴はユニホームだ。白地に紺で「GIFUSHO」と書かれたデザインをカラフルな山吹色に変更。「この10年、20年、勝てていない。自分たちで新しい伝統を作れということ」。ベンチに飾られていた甲子園戦績の掲示物も消え、場所を移した。過去に縛られず、今を生きる。

主将でプロ注目の高木翔斗捕手(2年=写真)は「相手を圧倒するスイングで打ち勝つ野球をしたい。目標は優勝です」と気合。昨年の中心メンバーも多く残る。30回目の春、新しい1歩を踏み出す。【酒井俊作】