今春卒業を迎える大学野球経験者の進路を紹介する「4年生たちが歩むそれぞれの道」第3回は、トヨタ自動車で野球継続予定の早大・尾瀬雄大外野手(4年)と、日立製作所で野球継続予定の日体大・関戸康介投手(4年)。
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ゆっくりとフォームを確認するようにキャッチボールを続けた。日立製作所に就職した日体大の関戸は「肘も問題なくピッチングができている。順調です。1年目の大会ではしっかり投げたい」と、確かな手応えを感じていた。「大学4年間で、もっとたくさん経験、挑戦をしたかった。でも、けがで何もできませんでした」。大学4年間で公式戦での登板は6試合で11回1/3で無勝利。もう1度、マウンドに立ちたい。社会人野球の門をたたいた。
高校野球ファンなら記憶に残る選手だろう。明徳中2年で146キロ、大阪桐蔭では2年夏に最速154キロを記録した本格派右腕。全国から注目を浴びたが、度重なるけがで3年春夏の甲子園出場も登板はセンバツの智弁学園(奈良)戦の1 1/3回のみだった。「同級生に最速154キロを投げる森木大智(高知)がいた。球速で追い越したい、と投げていました。でも、自分の体を理解しないまま、高いパフォーマンスを出そうとし過ぎて無理をしてしまったんでしょうね」。体が悲鳴を上げた。
ドラフト候補と騒がれながらも、日体大進学を選択した。しかし、大学もけがの連続だった。1年時は肩、肘を痛め、1年冬から少しずつ投げ始めたが春先、再び肩痛が再発。“関節唇損傷”で半年間のリハビリ。3年春、首都大学野球リーグで2試合に登板したが、肘の靱帯(じんたい)を断裂。9月にトミー・ジョン手術を受けた。「手術の4カ月後からスローイングを始めたんですが、痛みが引かない。本当に治るのか…。不安で…つらかったです」。ひとづてに、いいと聞くリハビリ施設はすぐに調べた。「考えれば考える程、ネガティブな感情に陥ってしまいそうだった。とにかく行動して。やらなければいけないことを自分なりに模索をしました」。周りの選手たちが次々と結果を残す中、取り残されていることが怖かった。
恩師の大阪桐蔭・西谷浩一監督(56)の言葉が支えた。「『人間万事塞翁(さいおう)が馬』だぞ。いつかいい方向にいくから、とにかく今は頑張れ」。優しい言葉が胸に染み渡った。「そこからネガティブな感情がなくなりました」。チームメートに積極的に話しかけ、明るい言葉に元気をもらった。みんなそれぞれに悩みを持っていることを知った。リーグ戦ではスタンドから応援の声を張り上げた。古城監督はじめ、スタッフ陣も、リハビリを支えてくれた。1人じゃない。感謝の気持ちでいっぱいになった。
ネットでは「消えた天才」とやゆされた。「名前が独り歩きしていたので、気にしていません。ここからはい上がる。逆に自分の中に反骨心が生まれました」と、前向きに捉える。今の関戸にはつらさもプラスに変える強さがある。「次は、いい未来を作られるように頑張ります」。再び大観衆の前で投げるその日を思い描きながら、完治した腕を振る。【保坂淑子】
◆関戸康介(せきど・こうすけ)2003年(平15)4月14日、長崎・佐世保市生まれ。広田小1年からセインツジュニアで野球を始め、明徳義塾中(高知)では3年夏の全国大会準優勝。大阪桐蔭では1年秋からベンチ入り。日体大では3年春にリーグ戦デビュー。6試合11回1/3に登板。177センチ、81キロ。右投げ右打ち。




