高校2年の正月、西本は下宿先から興居島(ごごしま)の実家へ帰省していた。そこで父友五郎に告げた。

「もう俺の野球を見に来るな。見に来るなら酒をやめてくれ」

西本 自分には「甲子園に行きたい」という大きな夢があった。オヤジにとっても末っ子が甲子園に行くというのが最後の大きな夢でした。だから甲子園に行って親孝行したいというのがありました。

父は漁師。48歳の時、末っ子の西本が生まれた。仕事は「くそまじめ」(西本)も酒が大好き。飲みに行くと1人では帰ってこられないということが目立つようになっていた。

西本 1日でも長生きしてもらいたいと。どうしたら酒をやめさせることができるか考えて「酒を飲むなら見に来るな」と言いました。オヤジはすごく寂しそうな顔をしていましたね。

父にそこまで言ってしまった以上、甲子園に出るしかない。3年夏が最後のチャンス。西本は決意した。

西本 それまで努力ということをしてこなかった。そこで初めて努力というものをしてみようと。

年末までは下宿先からバスで通学していたが、1月からは練習後、走って帰ることにした。後輩に制服やカバンを預け約10キロをランニングした。

冬が終わり、春が過ぎ、夏が来て、甲子園をかけた最後の戦いが始まった。

松山商は順当に勝ち進み8強入りを果たした。迎えた準々決勝の相手は帝京第五。序盤から松山商は押した。無死満塁の好機を迎えたが軟投派の相手投手からあと1本が出ない。0-0のまま試合は中盤へ。帝京第五は先頭打者が二塁強襲安打で出塁。盗塁と送りバントで1死三塁となった。

松山商は前進守備。西本は当時から投げていたシュートで、遊ゴロに仕留めた。遊撃手の乗松優二は目で三塁走者をけん制すると、一塁送球。その瞬間に三塁走者が本塁へスタートした。

乗松 一塁手が捕ってすぐ本塁へ投げた。タイミングは完全にアウト。ところが送球が高くそれてタッチできなかった。

これが決勝点になった。0-1。西本の夏は松山市営球場で終わった。

西本は号泣した。試合に負けて初めて流す悔し涙だった。ついに1度も甲子園にたどり着くことはできなかった。

ただ、この敗戦が糧になった。

西本 自分を変えてくれる悔し涙でした。

新学期が始まると猛練習をスタートさせた。(敬称略=つづく)【福田豊】

(2017年10月21日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)