甲子園に出たことが、人生を変えるかも知れない。準々決勝で敗れた関東第一の大久保翔太外野手(3年)は「まだ頭は真っ白ですが、野球を続けたいなと思ってます」と打ち明けた。

高校で終えるつもりだった。「高校野球で燃え尽きて、大学は夢に向かって勉強したい」。夢とは、理学療法士になること。小3の時、肩甲骨を痛め、かかった病院の療法士が元甲子園球児だった。名前も、どの高校かも覚えていない。ただ「甲子園」という響きにわくわくした。「すごい人だなって。憧れました」。

東東京大会を勝ち進むにつれ、もう1つの夢、甲子園が見えてきた。まだ、野球をやりたいのかも知れない、と気付いた。1番中堅が定位置。10日の日本文理(新潟)との1回戦では初回にセーフティーバントを決めた。芝生を走り回った。大観衆。楽しくて、楽しくて、しょうがなかった。宿舎で首脳陣に「大学でも野球を続けたいです」と打ち明けた。

50メートル5秒7の俊足。運動会のかけっこで2着以下になったことがない。今大会も、セーフティーや内野安打、盗塁で沸かせた。一方で、ハンディを抱えた時期がある。イップスだった。

二塁手だった中2の時、併殺プレーで投げた一塁送球がそれ、決勝点を与えた。公式戦ではない。ただの練習試合だ。それでも「投げるのが怖いというか、変な感じになって。人が相手だと、キャッチボールでも下にいくようになりました」。当時の監督のアイデアで、右投げを左投げに変えたこともある。脳の働きを左右同じにすれば治るかも知れない、との考えからだ。だが、ダメだった。

しっかり投げられなくても、足は超一流。機動力が売りの関東第一の門をたたいた。そんな大久保を、米沢監督も、チームメートも優しく受け入れた。先輩や、同学年の投手である谷や土屋が、投げる練習に付き合ってくれた。「ひたすら投げました。みんなが協力してくれた。それで、気持ちが楽になりました」。1人じゃない。その安心感が効果に表れた。昨冬、まともに投げられるようになった。

経験を、こう受け止めている。

「ダメだからやめよう、は一番やっちゃいけないこと。例えば打撃の調子が悪いから振らない、ではなく、ダメだからどうすればいいかを考える。一番下にいるなら、そこから上がるしかない。今、思えば、野球が好きだったから。やめる選択肢はなかったです」

履正社との準々決勝。初回先頭で右前打を放ち、二盗を決め、平泉の先制3ランを呼び込んだ。守備では、後方への大飛球をランニングキャッチしたり、右中間への当たりをシングルヒットにしたり、いかんなく足を発揮した。強力打線に屈し逆転負けしたが「僕らはチーム力が売り。個人の力じゃなくて。寮生活を共にした仲間。楽しかったです」と笑って話すことができた。

彼が打席に立つと、ストップウオッチを手にした。3秒88、3秒84、3秒81、3秒72…。スコアブックには、驚異的な一塁到達時間が並ぶ。近い将来、どこかの球場で、また健脚を見る日を楽しみにしている。【古川真弥】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

14日、二盗に続き三盗も決める大久保(撮影・清水貴仁)
14日、二盗に続き三盗も決める大久保(撮影・清水貴仁)