今季限りでの引退を決めている藤川球児がツイッターで「東京ドームの思い出」をつぶやいていた。「2003年 後藤選手に同点ホームランを打たれた事かな」。やっぱりあれか。思わず、うなずく。JFKで優勝した05年より、あのときの悔しさを忘れていないんだなと実感した。

闘将・星野仙一の下、怒濤(どとう)の勢いで優勝した03年の阪神。唯一ともいえる悪夢のような試合は同年4月11日の巨人戦だ。この日と同じ金曜日の夜に東京ドームで行われた試合だった。

阪神は6点リードの9回2死から球児が後藤孝志に3ランを浴びるなどまさかの展開で追いつかれた。延長12回に勝ち越したものの、その裏、高橋由伸に同点弾を浴び、結局、引き分けに終わった。

「きょうはオレのミスだ。負けなくてよかった」。試合後、星野は緊急ミーティングを招集。選手の前でそう話した。9回、打者・仁志敏久と対戦している打席の途中で左腕・吉野誠から球児に交代するなどバタバタした終盤の継投を「ミス」と言い、わびたのだ。

普通でも監督が選手に謝るのは異例だろう。ましてや闘将。ハッキリ言えば“ナメられる”危険さえあった。しかし承知の通り、阪神はこれで気合を入れなおし、優勝へひた走った。

のちに星野自身も「あそこからやな」と言い切った“伝説の試合”だ。そしてこの年、巨人との対戦成績は17勝10敗1分けと圧倒した。シーズン後に敵将・原辰徳が辞任する騒動にもつながった。

あれから17年。この日の東京ドームは違う意味で“まさかの展開”になった。マルテが4失策。それがことごとく失点に絡む。終盤に粘りを見せ、1点差まで迫ったが、正直、勝てる気はしなかった。

すでに力量の分かっているマルテを待ちかねたように起用する理由があるのだろうか。相手が左腕とはいえ、売り出し中の小幡竜平をスタメンから外すのは必要だろうか。正直、いろいろと思うのだが、選手起用、采配は監督の専権事項なのでどうこうは言えない。

それでも消えないのはこれでいいのかという思いだ。東京ドームで10試合を戦って1勝9敗。この体たらくが巨人独走の大きな要因となったのは間違いない。阪神には当然、虎党にとっても屈辱だ。指揮官・矢野燿大は、ナインは、来季、これをバネにできるのか。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)