夢をありがとう-。夏の甲子園で東北勢初の日本一を目指した仙台育英(宮城)は、惜しくも準優勝に終わった。だが最後まで諦めず戦い、杜(もり)の都を盛り上げたナインには、市民やOB、在校生らから大きな歓声と温かい拍手が送られた。

 被災地に笑顔を届けるため、仙台育英の佐々木啓太(3年)は三塁コーチとして腕を回し続けた。6回2死満塁、1番佐藤将の中越えの大きな当たり。「迷いなく腕を回した」。走者一掃の三塁打で、チームは同点に追いついた。

 石巻市北上町出身。中1のとき、東日本大震災の津波に自宅1階部分がのみ込まれた。「家族全員と再会できたのは近所の避難所でした」と父克さん(45)は振り返る。しばらく水が引かなかったため、家の2階までボートをこいだことも。大好きな野球は3カ月間できなかった。

 そんな時、津波で流されたポリ袋を拾った。中には、ゆずの「栄光の架橋」が入ったカセットテープがあった。「いくつもの日々を越えて、たどり着いた今がある」。歌詞を心の支えにした。苦難の中でも、明るさだけは忘れなかった。

 リードされた序盤。伝令として2度マウンドへ向かった時は、ともにジョークで笑わせた。「ねぶた」というチーム応援歌が流れると、独特の踊りでナインを和ませた。震災以来「周囲を元気にさせたい」という任務を自分に課してきた。「負けてしまったけど、地元に笑顔を届けることができたと思う」。背番号14は、敗戦の中でも充実感を漂わせた。【中牟田康】