阪神のレジェンド左腕が高校野球の監督として再び甲子園を目指す。今年11月、浪速(大阪)の監督に遠山昭治氏(52)が就任した。85年に阪神ドラフト1位で入団したがロッテへのトレードなど、投手→野手→投手の再転向で松井秀喜キラーとして花を咲かせた。浪速は過去、春は2度甲子園に出場したが夏は未経験。個性派ぞろいの「2年生投手5人衆」を軸に、履正社や大阪桐蔭の強豪ひしめく大阪の頂点を目指す。【取材・構成=石橋隆雄】

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長い棒を持ってグラウンドを歩き回る。遠くから見ると昭和の鬼監督のようだが、遠山監督と選手たちは笑顔で話している。「棒はつえ代わりですよ。47人の部員全員と毎日会話をしようと心がけています」と笑った。就任して約2カ月。ようやく選手それぞれの性格なども把握できてきた。

14年の学生野球資格回復認定後も阪神戦のテレビ解説などを続けてきた。知人に臨時コーチとして誘われ、6月から仕事の合間に指導に来ていたが、秋の新チームから正式に投手コーチ、11月から監督となった。 「あのチーム、楽しそうに野球をやっているなと相手に思わせたい。練習は厳しく、試合は楽しく」

喜怒哀楽を素直に出すよう指導し、選手たちも大きな声で白球を追う活気がある。「この子たちも興奮して鼻血を出す時があると、自分もああだったなと思い出すんですよ」。遠山監督もプロ1年目の6月20日の中日戦(甲子園)で初完封した時、7回くらいに鼻血を出したことがあったという。当時まだ18歳だった。

2年生が生まれたのは、現役引退した02年度。松井秀喜キラーとして名をはせたプロでの活躍は知らない。「でも彼らは動画で見たというんです。親から聞いたりしてるみたい」。寮はなく全員が自宅からの通い。親世代から、現役時代を教えられているという。

野村監督時代は遠山-葛西-遠山の変則リレーで甲子園を沸かせた。浪速監督1年目は「2年生投手5人衆」の継投で、大阪大会に嵐を起こそうとしている。「エース左腕村上は阪神の島本みたい。右のサイドスロー、アンダースローと目先も変える。5人全員がレベルアップしてくれたら楽しみ」とタイプがまったく違う5人をそろえる。今は徹底的に走り込ませ体力づくりの時期。「年明けから、ボール球を振らせるなど投球の楽しさを教えますよ」と、投球術を伝授する。

初采配となる春の大阪大会へ目を輝かせる。「楽しみ。今の戦力でどうやるか。小粒ぞろいだけど鍛え上げたらおもしろい。履正社、大阪桐蔭といる中で常にベスト8には行きたい」。監督就任を機にプロでの登録名「奬志」から本名の「昭治」に戻した。打倒履正社、大阪桐蔭。甲子園を沸かせた男が、強豪ひしめく大阪から甲子園を目指す。

◆高校野球の主な元プロ監督 明星(大阪)を63年夏の全国制覇に導いた真田重蔵監督は、50年松竹で39勝を挙げ、プロ通算178勝の名投手。池田(徳島)で3度甲子園優勝の故・蔦文也監督はプロ野球東急に1年間所属。元ダイエーの早鞆(山口)大越基監督、元西武の九州国際大付(福岡)楠城徹監督、元近鉄、阪神の天理(奈良)中村良二監督、元阪神の智弁和歌山中谷仁監督は甲子園に出場した。元ダイエーの鹿児島城西・佐々木誠監督は昨年から就任し、秋季九州大会で4強入りし来春センバツ出場が濃厚となっている。

◆遠山昭治(とおやま・しょうじ)1967年(昭42)7月21日、熊本県生まれ。八代一(現秀岳館)から85年ドラフト1位で阪神入団。1年目に先発ローテ入りし8勝。90年オフに高橋慶彦とのトレードでロッテ移籍。95年から野手転向し、2年間で12試合、16打数3安打、打率1割8分8厘。97年は1軍戦出場がなく戦力外に。同年オフに投手でテスト入団して阪神へ。サイドスローに転向して中継ぎで活躍し、99年カムバック賞。02年限りで現役引退。05~11年まで阪神2軍コーチ。14年に学生野球資格回復。左投げ左打ち。

◆浪速 1923年(大12)に旧制浪速中学校として創設された私立校。05年から男女共学。生徒数は2223人(女子766人)。野球部は26年創部。甲子園は91年、01年と春2度出場。主な野球部のOBに大引啓次(元ヤクルト)、近藤大亮(オリックス)。新チームの秋季大阪大会は4回戦進出。空手部、ボクシング部などが全国レベル。赤井英和、笑福亭鶴瓶、林家ペーもOB。所在地は大阪市住吉区山之内2の13の57。木村智彦校長。

○…遠山監督は普段、浪速高校の入試広報部で勤務している。「ようやくスーツ姿にも慣れてきました。浪速に入ってもらえるようにいろいろ中学などにもあいさつにいっています」。チームは平日、住吉区の学校からバスで40分かけ、堺市にある専用グラウンド「浪速ふくろうベースボールスタジアム」で練習。18年から野球専用の人工芝球場になるなど、学校も野球部強化に力を入れている。