天理(奈良1位)が乙訓(京都2位)に競り勝ち、準々決勝進出を決めた。夏の甲子園でチームを2度優勝に導いた橋本武徳総監督(享年75)が9日に他界後初の公式戦を突破、来春のセンバツ出場に1歩前進した。

伝統は生きていた。橋本氏は試合佳境の円陣で「ぼちぼちいこか」と声を掛け、快進撃を重ねた。この日は、同点に追いつかれた直後の8回表。ベンチ前の円陣で中村良二監督(52)が帽子を脱いで、ひさしの裏の文字を見せた。

「笑」-。奈良大会決勝後、橋本氏に書いてもらった一文字だ。

最終回、1死から4番瀬千皓(2年)が左前打で出塁し、二盗を決めた。2死二塁、6番堀内太陽(2年)の一振りは、前進守備の外野を越え、決勝の左中間三塁打になった。

「僕は“肩の力抜いて、楽にいけ”というつもりやったんですが、選手は勘違いして“終わったら、笑って帰れるんや”と思ったみたいです」。朗らかな中村監督の顔が、おおらかだった恩師のそれに重なった。

橋本氏が他界する前日8日、中村監督は自宅の恩師を見舞った。ベッドの師はいつも通りに「奈良大会優勝おめでとう」「近畿大会も頑張れよ」とほめ、励ましてくれた。15分過ぎ、中村監督が「先生、あんまり長く話したら…。僕、明日も来ますから」と話を切ろうとしても「まだええやないか」と終わらず、約30分も続いた。翌9日、約束の午前10時半に見舞いに行こうとして訃報が入った。それでも、家に入れてもらった。まだ温かい手を握り、お別れをした。

特別な試合という意識が、中村監督は「僕は全然ありました」という。少年、高校生、社会人、プロと野球の指導者にさまざまあるが、恩師は高校野球指導者の理想型を憧れ、目指した。「僕にとっては、道をひらいてくださった恩師。でも、選手には“気のいいおじいちゃん”かな」-。

「笑」の文字を、帽子のひさしに書いてもらったのは、3度目だった。最初は17年夏、監督として初の甲子園に臨む前「お前が笑っとれば、勝てるわ」と言われた。2度目は昨秋の近畿大会前で優勝できた。「今回の字が1番大きいですね」。伝えたい思いが、大きくなったのかもしれない。

最速145キロ右腕達孝太(2年)が13奪三振の力投を見せ、2-1で勝った。「今日の試合は、ほんまにみんなで勝った感じが強いですねえ」。天理の伝統を継ぐ指揮官に率いられ、ナインは25日、大阪桐蔭との大一番に臨む。