震災で感じた野球できる幸せ、無欲で届いた夏の聖地

  • ノックをする武庫荘総合・植田監督(撮影・望月千草)

95年の阪神・淡路大震災から26年を迎えた17日、武庫荘総合(兵庫)の植田茂樹監督(56)ががれきのなかで野球に臨んだ26年前の心境を語った。

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植田監督は、阪神・淡路大震災が起こった95年夏、公立の尼崎北を率いて甲子園に初出場した。

震災と向き合い芽生えた心の強さが、聖地につながっていた。「困難にぶち当たって彼らがまとまった。地震があったのもきっかけ。精神的に自立してくれた」と当時を振り返る。神戸市内より比較的被害の少なかった尼崎市内は、震災から程なくしてライフラインが復旧。学校も始まり、部活動も自主練から再開した。震災から約2カ月が経ったある日、練習試合のために電車で明石市内へ向かった。窓の向こうに見えた景色に、部員たちが言葉を失っていた。「(表情が)沈んでました。風景に見入ってました。一言もしゃべらずに…」。尼崎市と西宮市の間を流れる武庫川を越えると世界は一変した。崩れたビル、空き地だらけの変わり果てた神戸の街。「野球ができるありがたみを感じてくれたと思う」。漫然と野球をするわけにはいかない。部員おのおのが、心に刻んでいた。

無欲で過ごした夏だった。「なんで(甲子園に)出られたのって思われたと思う。今考えたらあの夏は不安がいっさいなかった。ただ、野球ができるだけで良かったんです」。普段の公式戦なら行う駆け引きも、計算もしなかった。「毎日試合に行くのが楽しかった。それはあの夏だけですね」。野球ができるうれしさと尊さ。その一心で、一試合一試合を駆け抜けた。チームは7試合中5試合を逆転勝ち。準決勝からは一度のリードも許すことなく、決勝では神戸弘陵を5-2で破って甲子園へたどり着いた。

聖地は長く、短かった。8時30分開始の第一試合にもかかわらず、アルプスも外野席も地元の応援団で満員になった。だが、3時間超の熱戦の末、初戦で青森山田に6-7で惜敗。勝利で応えることはできなかった。だが、「今までにないくらいの声援をもらいました」。試合後、拍手と聞き取れないほどの大歓声に包まれた。間を縫って聞き取れたのが「『また来年もこいよ』とか『頑張ったね』とか」。兵庫の代表として戦い抜いた証だった。

26年が経った今、コロナ禍による未曽有の事態に包まれる。「人災、戦災、天災はいつ起こるのか分からない。毎日グラウンドで野球をやっていることがどれだけ幸せか」とかみしめる。部は現在、緊急事態宣言の影響で練習時間は平日2時間、休日3時間に限られる。限られた環境下、思うようにならない日々が、26年前と重なる。「自分の意思でどれだけ取り組めるかが大きなところだと思う。本当の意味での良い練習ができるのでは」。野球ができる幸せを感じながら、生徒たちとこの日常に向き合う。【望月千草】