球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが15日、都内の野球殿堂博物館で発表され、特別表彰ではプロアマ問題で改善に努めた日本高野連元会長の脇村春夫氏(87)が選ばれた。エキスパート部門で元横浜(現DeNA)監督の権藤博氏(80=野球評論家)、プレーヤー部門では中日一筋で2000安打を達成した立浪和義氏(49)が選出された。

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87歳を迎えた平成最後の誕生日に脇村氏は殿堂入りを果たした。「誕生日にまさか殿堂に入るとは。選手、指導者の実績もないのに感激している」と浸った。

控えめだが湘南で甲子園優勝を果たし、社会人でも都市対抗に出場。現役時も輝かしいが高校野球のトップとしての貢献度は大だった。02年に第5代高野連会長に就任。最初の会議で「プロのOBが母校に行って後輩に話し掛けられないのは、なぜか?」と問題提起したという。

当時のプロ野球の川島コミッショナーと話し合いを重ね、現役プロ選手による高校生へのシンポジウムを開き、04年にドラフトについての覚書を交わし、歴史的な調印を遂げた。またプロ志望届の制度も導入。今日までのプロアマ交流の流れをつくるも「川島さんの指導が大きい。私自身の力ではないです」と笑った。

野球への愛は今も深い。「毎週水曜日に還暦野球で一塁コーチャー。サインは出さないけど(笑い)」。会長退任後も春夏の甲子園大会に足を運び、試合後に両校監督に声を掛ける。皇后さまのいとこにあたり、平成最後の殿堂入りも巡り合わせを感じる。「皇后さまが私の殿堂入りを知っているか分かりませんが、新聞で読みますかね」と目尻を下げた。【広重竜太郎】

 

◆脇村春夫(わきむら・はるお)1932年(昭7)1月15日、東京都生まれ。神奈川県立湘南高校に進学し、49年夏の甲子園で初出場初優勝。東大野球部では主将を務め、55年に東洋紡入社。都市対抗に出場した。野球部を引退後、86年取締役に就任。新興産業社長を経て、02年11月に日本高野連会長に就任し、08年11月まで務めた。会長就任前から阪大大学院に籍を置き、05年に経済学博士号の学位を授与された。