プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が死去したことが9日、分かった。93歳。

   ◇   ◇   ◇

西本聖氏(63=日刊スポーツ評論家、巨人時代に指導を受けた)

私にとっての関根さんは、数少ない恩師の1人です。忘れられないのが、私がプロ入り2年目で、関根さんが巨人の2軍監督を務められている年でした。

4月下旬、憧れの甲子園でプロデビューしたのですが1回で3失点。広島へ移動した翌日、1軍の首脳陣から打撃投手をやれと指令を受けました。まだ若く「なんで打撃投手がいるのに、俺がやらなきゃいけないんだ」という気持ちです。打たせるのが仕事にもかかわらず、ムキになって投げてしまいました。態度も悪かったのでしょう。3連戦で打撃投手をやった後、すぐに長崎で試合をしていた2軍に落とされました。

関根2軍監督は、翌日の試合で先発起用してくれました。私からすれば、ふてくされている暇もありません。悔しさをぶつけるには最高のタイミングです。その試合に勝ち投手になり、その後も先発で起用され、50試合か60試合ぐらいしかないイースタン・リーグで12勝を挙げることができました。これが自信になり、翌年から1軍で活躍できる下地を作ってくれました。

私のように、つい言いたいことを言ってしまうタイプには、最高の指導者でした。ランニングをさせるときも「もうすぐ雨が降りそうだから今のうちにしっかり走ろう」と頭ごなしに走れと言いません。温和な笑顔で人を乗せるのが上手でした。関根さんのような指導者は、当時はいなかったと言っていいでしょう。私のような生意気な若手は、感謝してもしきれません。心からご冥福を祈ります。