ポスティングシステムを利用して米大リーグ、レンジャーズへの移籍が決まった日本ハム有原航平投手(28)が、打者・大谷との対戦を心待ちにした。

10日、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で行われた退団会見に、栗山英樹監督(59)とともに出席。同じア・リーグ西地区のエンゼルスにチームメートだった大谷翔平投手(26)がおり、日本ハム時代にかなわなかった対決の可能性も出てきた。

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雲1つなく晴れ渡った日、有原が夢への一歩を踏み出した。「21年シーズンから、テキサス・レンジャーズにお世話になることになりました、有原です。頑張ってきます」。コロナ渦の影響があった中、ポスティングシステムを利用し、強い覚悟を貫いてメジャー移籍をかなえた。「本当に1年でも早く行きたいという思いでやっていたので、行くことに迷いはなかったです」と言い切った。

対決を心待ちにする存在がいる。レンジャーズはア・リーグ西地区で、エンゼルス大谷と同地区。レンジャーズ移籍が決まった際には「おめでとうございます」と連絡があったという。紅白戦などを通しても対戦経験がなく、有原は「投手よりも、バッター大谷とやってみたいなというのがあります。それが結構楽しみです」と、笑みを浮かべて熱望した。

対決を楽しみにしている1人、栗山監督は「両方、応援するに決まっているでしょ」と断言。有原には昨季、投手キャプテンを託すなど入団当初から信頼を寄せてきた。「メジャーリーグをオレが変えてやる!という姿が見たい。航平が頑張ってくれることによって、すごく刺激を与えてくれる」と変わらない期待を込めた。

新たなチームには、フィーリングを感じた。「ファイターズから先輩も行っていますし、日本人選手が所属していたチーム。どこのチームもしてくれていたんですけど、その中でもレンジャーズが(分析)してくれて、この環境なら僕自身、もっと成長できるなと思った」。日本ハムで得た配球と、粘り強さを武器にメジャーリーガーを封じる青写真を描いている。

「目標は本当に考えていない。とにかくケガをせず、1年間やることをテーマに、やっていきたい」。等身大の思いを抱き、焦がれ続けた舞台に立つ。【田中彩友美】

◆有原航平(ありはら・こうへい)1992年(平4)8月11日、広島県生まれ。小学校時代に河内少年軟式野球クラブで野球を始める。広島三和中を経て広陵に入学。硬式野球は高校からで、2年春からベンチ入り。3年時に春夏連続で甲子園に出場。早大に進学後はリーグ戦通算62試合に登板し19勝12敗。14年ドラフト1位で日本ハムに入団。15年5月15日オリックス戦でプロ初登板初勝利。同年は8勝で新人王を獲得。16年は11勝でリーグ優勝と日本一に貢献。19年は15勝で最多勝。通算129試合、60勝50敗2セーブ、防御率3・74。189センチ、95キロ。右投げ右打ち。

○…ともに先発陣の一角を担っていた上沢が、花束贈呈役でサプライズ登場した。練習着のジャージー姿だったため、有原から「スーツは? 大丈夫?」とイジられる姿も。上沢は「私生活だったり、野球の面でもお世話になったので次のステージに行っても頑張ってほしい。試合前や朝の時間に、メジャーリーグを見る機会が増えたのでうれしい」と、新たな楽しみを喜んだ。