日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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米国エール大学教授ウィリアム・ケリー(文化人類学)から、ニューヨークの滞在先に連絡が入ったのは、コロナ禍に見舞われる数年前のことだ。

「今、ボストンで“ホクサイ”をやっています。珍しいコレクションだから見ておいた方がいい。ご一緒しませんか?」

ボストン美術館で開催されたのは江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎の展示会。最初は深く考えていなかったが、今まで見たことのない所蔵品に高ぶった。

モネの「日本娘」(ラ・ジャポネーズ)も鑑賞できたし、海外の画家が“ニッポン”をどのようにとらえたかが想像できた。浮世絵の愛好家だった西洋人が収集した北斎は「世界で著名な日本人画家」と海外から高く評価されるようになっていった。

そのボストンが本拠のレッドソックスにオリックスのアーティスト吉田正尚が移籍した。年末年始は出身地の福井が“プチ盛り上がり”している。「県初のメジャーリーガー」誕生の話題が扱われて、地域活性にも期待が膨らむ。

敦賀気比で通算52本塁打を記録し、青学大で日本代表入りして初めて日の丸を背負った。オリックスでは東京五輪に出場、パ・リーグ首位打者も獲得し、日本一にもなった。

福井から大リーガーが現れるなど想像だにしなかった。それでも輝かしいキャリアの背景には、吉田が積み重ねてきた故郷での過酷な努力が隠されている気がしてならない。

驚いたのは、麻生津小の卒業文集に冒頭から「ぼくの将来の夢は、大リーガーです」とはっきりと書いていることだった。「有名な大リーガーになりたい」と堂々と締めくくっている。

北陸の空は「弁当忘れても、傘忘れるな」と言い伝えられるほど天候が不順で

、現地で暮らしたものにしか分からない厳しい冬を過ごすことになる。

最近は雪国の高校も室内練習場など環境面が整備されている。それでもたった2、3センチの積雪で大騒ぎする都会人とはかけ離れた苦労が田舎にはある。

そんなハンディを乗り越えて、少年時代に描いた夢を本当に手に入れた。人知れずバットを振り続けた成果は、福井の少年少女たちの励みになる。

そういえば、21年日本シリーズMVP男のヤクルト中村悠平が福井商、広島西川龍馬、オリックス山崎颯一郎、引退した内海哲也が敦賀気比の県勢からプロの世界へ羽ばたいた。

吉田の契約がポスティング交渉初日でまとまったのは、大リーグ移籍のケースでは珍しい。よほどレッドソックスが綿密に水面下で調査をしていたかがうかがえた。

昨年の日本シリーズ第5戦、9回に同点に追いついた直後のサヨナラ本塁打は見事だった。あの劇的一打で大リーグの各球団がつけた“値段”は数億円単位で上がったことだろう。

しかもダイヤモンドを回る吉田は、はしゃぐでもなく、笑わなかった。ちょっとした寂しさも募るが、雪国で耐えて育ったサムライの挑戦を見守りたい。(敬称略)