さよならじゃない-。6月3日に89歳で死去した故長嶋茂雄巨人名誉監督をしのぶ「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」が21日、東京ドームで催された。参列した関係者は約2800人。「お別れの言葉」を述べたソフトバンク王貞治球団会長(85)は「長嶋茂雄さんは永久です」と伝え、元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(51)も、心の中で対話が続くことを願った。
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「長嶋さん、お元気ですか」。
王氏は、生前のように声をかけた。外野エリアに「太陽」をイメージして作られた巨大な祭壇。3万3333本の花が咲き誇る国内最大級の壇上に、長嶋氏の笑顔が揺れていた。
「ON」と呼ばれ、ともに一時代を築いた盟友へ送る「別れの言葉」だ。「不謹慎である事は十分承知しています」。ただ、他に言葉がなかった。伝えたい思いを、長嶋氏のほほ笑みが後押ししてくれた。
「今、私はここで長嶋さんのこの笑顔を見て…。長嶋茂雄さんは永久です。多くの皆さんが思っている思いを、代表してお伝えして、私のお別れの言葉とさせていただきます」
節目のあいさつを、長嶋氏の引退スピーチ「巨人軍は永久に不滅です」を模して、そう結んだ。別れではなく、生き続ける。それは、みながミスタープロ野球に伝えたいことだった。
祭壇は、陽光のように人々を明るく照らした天真らんまんでポジティブな人柄を表現していた。誰からも愛された人柄は、祭壇前に置かれた1本のバットが物語っていた。1959年(昭34)6月25日、後楽園球場での巨人対阪神。プロ野球初の「天覧試合」として語り継がれる夜に、サヨナラ本塁打を放った相棒だ。
そこにはマジックの手書きで日付の「一九五九 六廿五」、さらに「天覧ホーマー」の文字が記されているが、なんと「マ」は間違った文字を黒塗りし、その横に書き直ししたものだった。関係者によれば、以前このことを聞かれ、曖昧な返答で受け流したという。書き損じた可能性は高い。 日本球史に残る記念バットに刻まれた“失敗”は、見る者の笑みを誘う。野球界で初となった文化勲章、アテネ五輪で日本代表のベンチに掲げられた日の丸が隣に並ぶ。偉大さの象徴と、書き損じの「マ」。その対比に、ミスターの魅力が詰まっていた。
午前10時半に始まった「関係者の部」には野球界のみならず、政界、経済界、スポーツ界、芸能界などから約2800人が参列した。午後からは「一般の部」が行われ、夜遅くまで訪れる人の波は切れなかった。みなの希望を代弁し、王氏は言った。
「どうぞいつまでも私たちの心の中に生き続けてください」。
日本スポーツ界の「太陽」は、これからもみなを照らし続ける。【阿部健吾】
○…「関係者の部」に約9600人(参列者約2800人、応募者の中から選ばれた2階席入場者約6800人)、「一般の部」には約2万2800人の計3万2400人が来場した。



