<楽天3-2ロッテ>◇26日◇Kスタ宮城

 ロッテ井口資仁内野手(38)が日米通算2000安打を達成した。楽天11回戦の6回に、エース田中将大(24)の直球を左中間スタンドに運ぶ19号ソロで金字塔を打ち立てた。米大リーグでの494安打と合わせて、17年目で大台に到達した。日本選手の日米2000安打はイチロー(ヤンキース)、松井秀喜氏らに次いで5人目。昭和生まれ以降で200勝、2000安打、250セーブ達成者による「名球会」入りの条件を満たした。

 祝砲だった。ロッテ井口は先頭で迎えた6回、初球147キロを豪快に振り抜いた。打球は雨上がりの夜空を裂き、120メートル先の左中間スタンドへ。一時勝ち越しのメモリアルアーチで、日米通算2000安打を達成した。「今年一番のスイング。2000本で一番インパクトのある1本になった」。敵地に響く「井口」コールの中、回るダイヤモンドは格別の輝きだった。

 しかも相手は無敗の楽天田中だ。「球界NO・1投手。今日はないな」と家族を仙台に呼ばなかった。だが4回の左前打でマジック1とし、次の打席で予想外の到達。2000安打の先輩、楽天松井から花束を受け取ると、スタンドへ一礼した。

 順風満帆な道のりではなかった。転機は入団5年目。東都大学リーグの本塁打王は長打を狙い、打撃フォームを見失う悪循環を繰り返していた。もがく井口を変えたのは、当時の島田誠コーチのひと言。「同期を追い抜きたいなら何でもいい。タイトルを取れ」。

 照準を定めたのは盗塁王。大振りはしない。地道にヒットを増やそう。投手の癖を探し、配球傾向を徹底的に調べた。走者の動きも含めて考えるうち「だんだん次に何の球が来るか見えてきてね」。01年、当時史上3人目の30本塁打・40盗塁を達成。打率は初めて2割5分の壁を破った。

 「今思えば、その切り替えがプロで一番難しかった」。1発狙いの意識を変え、つかんだ打撃の形は王監督らの助言で固めていった。風呂場で裸で1本足打法を伝授されたこともある。

 「投手の先手を取れ」。緩急を読み、自分のタイミングで打てという教えだった。洞察力に磨きをかけ、米国でも自分の打撃を貫いた。制約の多い2番打者でワールドシリーズを制覇したのも、緻密な観察力のたまもの。今年、王監督からの年賀状は「名球会で待ってます」と書かれていた。何よりの発奮材料だった。

 ダイエー入団時の目標は「40歳まで現役」と「通算2000安打」。この日、通過点に変わった。「入ったころは32歳くらいでみんなオッサンだった。おれはまだ動けてる。45歳を目標にして、限界に挑戦ですね」。まだまだ、歩みは止められない。【鎌田良美】

 ▼井口が6回に田中から本塁打を放ち、日米通算2000安打を達成した。初安打はダイエー時代の97年5月3日近鉄戦の山崎からで、日本で1506本、メジャーで494本記録。日米通算2000安打を達成した日本人選手はイチロー、松井秀喜、松井稼頭央、中村紀洋に次いで5人目になる。日本のプロ野球で2000安打は44人が達成しているが、2000本目を本塁打で決めたのは4人だけ。日米通算2000本目を本塁打で達成は、今年の5月1日中村に次いで2人目だ。対田中は前日まで57打数14安打(打率2割4分6厘)、1四球で本塁打は0。通算61打席目の対戦で田中から打った初アーチが記念の一打となった。