ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンで、米国で黒人差別撤廃の公民権運動の象徴でもあったムハマド・アリ氏が3日、死去した。74歳だった。呼吸器系の病気でアリゾナ州フェニックスの病院に入院したと伝えられた直後だった。

 100年以上の歴史を誇るボクシングで時代、階級を超えたナンバーワンとされるほど選手、アリは光り輝く。華麗、軽快、鋭敏と資質にあふれていた。

 衝撃的なデビューは1960年ローマ五輪だった。ライトヘビー級で金メダルを獲得、さっそうとプロに転向した。「予告KO」で話題を振りまき、それを実現して周囲を驚かせた。

 64年、圧倒的な不利を予想される中、世界ヘビー級王者、ソニー・リストン(米国)に挑戦した。リストンのハードパンチは折り紙付きで、誰もがKO負けを想像した。ところが、スピード豊かな左右の連打で王者を寄せ付けず、TKO勝ちでプロでも頂点に立った。リング上で「アイ・アム・ザ・グレーテスト」(俺が最も偉大だ)と狂喜乱舞する姿は新時代の幕開けを感じさせた。

 スタイルは鮮烈だった。ヘビー級とは思えないスピードで鋭い多彩なパンチを繰り出し、弾むようなフットワークは出色。「チョウのように舞い、ハチのように刺す」と自画自賛した闘い方で無類の強さを発揮した。

 9度防衛の後、兵役を拒否したため世界タイトルを剥奪された。約3年半のブランクの後、カムバックし、ジョー・フレージャー(米国)に初黒星を喫するなど王座返り咲きは至難に思えた。しかし、74年、怪物ジョージ・フォアマン(米国)との一戦。無敵の感があった絶頂期の王者に対し、たるんだロープを背にしてパンチをかわす絶妙の作戦でペースを乱し、8回にKO勝ち。「キンシャサの奇跡」という番狂わせを起こした。

 その後も防衛を重ねた。レオン・スピンクス(米国)に奪われたタイトルもすぐ奪回し、ヘビー級史上初の3度王座獲得の快挙を達成している。史上最強のボクサーだった。