「100年に一人の逸材」が凱仙(がいせん)した。新日本プロレスの棚橋弘至(46)が6日、真夏の祭典「G1クライマックス33 仙台大会」(19日、ゼビオアリーナ仙台)PRのため、日刊スポーツ東北総局を訪れた。

棚橋は同大会の第5試合でシェイン・ヘイスト(37)と対戦。本紙のインタビューに応じ、仙台への思いや大会への意気込み、元球児として甲子園を目指す高校生に向けてエールを送った。【取材・構成=山田愛斗】

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棚橋にとって仙台は思い入れのある場所だ。11年2月、3000人以上が訪れた仙台サンプラザホールは超満員札止め。メインで挑戦者・小島聡を下し、IWGPヘビー級王座を初防衛した。そこから歴代最多V11(当時)を達成。「僕にとって仙台は始まりの土地なので、仙台からちょっくら優勝を始めましょうかね」。500人規模の会場で空席が目立った時期もあったが、今では良い思い出の方が多い。

02年から皆勤のG1クライマックスは15日の北海道大会から開幕。約1カ月間、全国各地を転戦する過酷な日程だ。「連戦が続き、ほかの選手はだんだん消耗しますが、僕は生まれてから疲れたことがないので」と言い切る。07、15、18年にG1を制したが「やっぱりファンからのリスペクトを勝ち取れるのが一番の誉れだと思います」と語り、会場での大声援を熱望する。

「息が上がり、ダメージがあって、『もう動けん』というときに棚橋コールが来ると、『よしやったろう』となる。ファンの方には楽しんでもらって、明日への活力というか、エネルギーの循環がプロレスの会場で起きているんですよ。プロレス会場はパワースポットだと言いたいですね」

近年、着実に成長してきた新日本プロレスも、コロナ禍の影響で足踏みする期間があった。「V字回復はよく聞きますが、W字回復をやったら本当に『100年に一人の逸材』を証明できるんじゃないかな」。失われた時間を取り戻すという思いは強い。

棚橋は大垣西高(岐阜)時代、高校球児だった。「僕は野球があまりうまくなかったので、野球がうまい選手は無条件で尊敬します」。打順は「7番左翼」が定位置で高校通算1本塁打。練習試合で放った唯一の1発は訳ありだ。1死一塁、監督から犠打のサインが出る。だが、2度失敗。ヒッティングに切り替えて2ランを放った。「監督はニコリともしなくて…。『何、勝手に本塁打を打っているんだ』と」。怒られた記憶が懐かしい。

2番手投手でもあった。最速120キロ未満のサイドスロー右腕で「曲がらないカーブと落ちないフォークがあったぐらい」と笑う。「100年に一人の逸材」のほかに「エースへの憧れが強すぎて」と新日本プロレスの「エース」を自称。ただ本音は「プロレス界にもエースがいたら、その選手を軸に相関図ができる。より見やすくしたい」という思いがあるからだ。

いち野球ファンとしてエンゼルス大谷翔平投手から日々刺激を受ける。「本人はそんなつもりが一切ないと思いますが、エンターテイナーだし、大谷選手の野球人生をシェアしてもらい、僕らは楽しんでいる。本当にヒーローだなと」。大谷の母校・花巻東高(岩手)にはプロ注目スラッガーの佐々木麟太郎内野手(3年)がおり、その存在ももちろん知っている。

「あまりリアル逸材が増えすぎると困るんだけどな。こっちは自分発信の逸材なので。ちょっとあの人たちに比べると棚橋の逸材感は薄いなと思われてしまいますね(笑い)」

東北では7日から甲子園をかけた熱戦が始まる。高校3年時の棚橋は県大会2回戦敗退。「甲子園で優勝する学校以外は悔しい思いをします。悔いがないようにというのはなかなか難しいですが、3年生は2年半頑張ってきた集大成。持てる力を全部出してください」とエールを送る。

高校野球シーズンと同じ時期にG1クライマックスが幕を開ける。

「ぜひ会場で棚橋コールであおってもらい、棚橋を乗せてもらって、それで棚橋を勝たせてもらって。僕はとにかく全力で盛り上げるので、プロレスのエネルギーを日常に持って帰ってもらって、日本を元気にしていきましょう。宮城の皆さん愛してま~す!!」

ファンを愛し、ファンに愛される棚橋が、仙台のリングの中心で愛を叫ぶ。

◆棚橋弘至(たなはし・ひろし)1976年(昭51)11月13日生まれ、岐阜県大垣市出身。大垣西高、立命館大を経て99年に新日本プロレス入門。IWGPヘビー級王座、IWGPインターコンチネンタル王座などを獲得。G1クライマックスは07、15、18年優勝。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」「エース」。得意技はハイフライフロー。181センチ、101キロ。血液型O。