プロボクシング4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥(31=大橋)の防衛戦を含む4大世界戦が5月6日、東京ドームで行われる。創設30年で4人の世界王者を輩出した大橋ジムから同一ジム最多4選手が出場。挑戦者の桑原拓、武居由樹が王座奪取に成功すれば世界王者合計6人となり、大橋秀行会長(59)が現役時代に所属した名門ヨネクラジムの5人を超える。『ボクシング5・6東京ドーム 34年ぶり祭典』連載第2回は「大橋ジム躍進の理由」に迫る。

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34年ぶりの東京ドーム興行は国内最多の4大世界戦が行われる。その全4試合に大橋ジムの選手が出場する。同一ジムの4選手が同時に世界戦のリングに立つのは史上初。「30年前のジム開設当初は想像もできなかったけど、今の状況は当然の結果なんですよ」と、大橋会長は振り返る。

94年2月、引退と同時に横浜市にジムを開設。まずは選手育成よりも、経営基盤安定のために練習生とスポンサーを集めることを最優先した。「楽しい雰囲気にして、選手と飲みにも行った。携帯電話で話をしながらサンドバッグを打つ練習生もいました」(大橋会長)。

転機は95年に21歳で入門した、後のWBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重の存在だった。ボクシング経験のない素人が、負けず嫌いな性格と圧倒的な練習量で、入門10年目の04年に世界の頂点に立ったのだ。「練習では常に3分間全力を出し尽くす。その背中をみんなが見る。川嶋でジムが変わった」と大橋会長。

当事者の川嶋が懐かしそうに振り返る。「当時、あのジムから世界チャンピオンが出るなんて誰も思っていませんでした。僕が世界を取ったことで、アマチュアで実績を残した八重樫らが続いてくれた。そこは自分がジムに貢献できた点かなと思いますね」。

川嶋の世界王座奪取から3カ月後、後の世界3階級制覇王者の八重樫東がジムの門をたたく。アマ2冠のエリートは入門直後の合宿が今も記憶に残っている。「過酷なメニューで3日目に疲労で体が動かなくなったのですが、川嶋さんは最終日まで一切ペースが変わらない。『これがプロなんだ』と感じました」。

川嶋の背中を追い続けた八重樫は11年にWBA世界ミニマム級王座を奪取してジム2人目の世界王者となり、その後3階級制覇を達成した。引退後はトレーナーとして大橋ジムを支え、井上尚のフィジカル面も指導している。

大橋会長がしみじみと言う。「八重樫は現役最後まで猛練習をしてすごい体をつくった。尚弥も一緒にいて感じるものがあったんだと思う。『八重樫さんに(指導を)お願いできませんか』と自分から言ってきた。尚弥が強くならない方がおかしいよ」。

東京ドームで桑原と武居が王座奪取に成功すれば、大橋ジムの世界王者は合計6人となり、大橋会長が目標とするヨネクラジムの5人を超える。

「米倉会長の『強いチャンピオンに掛かり切りになると次が続かない』という教えが大きかった。だから選手育成は常に次を考えながらやってきた。東京ドームもゴールじゃない。ここからが始まりなんです」(大橋会長)。

ヨネクラジムから引き継がれた長い拳の歴史が、大橋ジムの、そして井上尚の強固な土台になっている。【首藤正徳、奥山将志】