大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。17日に日本相撲協会などが発表した。76歳だった。
元大関2代目増位山の三保ケ関部屋で育った弟子たちは、感謝の言葉を口にした。
元小結浜ノ嶋の尾上親方(55)は「お世話になり、感謝しかないです。厳しい時は厳しいが、オンとオフがはっきりしている、やることをやっていればうるさく言わないオヤジだった。あのオヤジじゃなければ、今の自分はいません」と話した。
尾上親方と同期、元幕内肥後ノ海の木瀬親方(55)は「怒られたことはあまりない。自由にさせてもらいました。ガミガミ言うタイプではありませんでした」と感謝し「入門した時、(師匠の)現役の相撲は見たことがなかったので、歌っている姿しか知らなかった。(入門後)歌を生で聴いて、テレビで聴いてた歌だと思いました」と思い出を話した。
先代待乳山親方(元小結幡竜山)の田口孝晴氏(74)は、増位山さんより1場所兄弟子で、引退後は部屋付き親方として支えてきた。「いろいろお世話になりました。どちらかといえばうるさくはないタイプで、自由にやらせてくれた。やっていることをやっていれば、何も言わなかったので、やりやすかったです」と故人をしのんだ。
元幕内里山の千賀ノ浦親方(44)は「稽古場では一切言わないけど、1回だけ言われたことがあります。大阪場所前の稽古で気合が入らない日があって、それを見抜かれました。『待乳山親方、胸を出してやってください』と言って、ぶつかり稽古で転がされました。そこから気合が入りました」と回想した。楽しい思い出も多い。「稽古場は、師匠がいるだけでピリッとした雰囲気になったけど、ちゃんこの時はレコードにまつわるエピソードとか、思い出話をしてくれました。すごい楽しかった」と振り返った。
若者頭の虎伏山(54)は、裏方ならではの視点で師匠の人柄を語る。「温厚な方でした。例えば場所前の部屋の激励会の時。若い衆はちゃんこを作ったり、引き出物を準備したりします。でも、パーティーの前に、まずは食べてから働こうかと言って、食事を準備して食べさせてくれました」。
増位山さんの定年にともない、三保ケ関部屋が閉鎖となって約12年。虎伏山は「今でもOB会があります。OBが集まりやすい部屋なんです。それがすべてを物語っているんじゃないですか」としみじみ言った。【佐々木一郎】

