中村福助(57)が、7代目中村歌右衛門を襲名する日が来るのだろうか。福助は脳内出血による筋力低下で13年11月から療養していた。4年10カ月ぶりに復帰した、東京・歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部「金閣寺」を見ながら、そんな思いが頭から離れなかった。

2日の初日の客席は、福助の復帰を待ち望む観客の熱気にあふれていた。開演から86分後、金閣寺に幽閉された将軍の生母の慶寿院にふんした福助が登場すると、「待ってました!」「成駒屋!」と掛け声が飛び、大きな拍手がしばらく鳴りやまなかった。紫色の衣装に身を包んだ福助は「何、春永が迎いとや」「未来の仏果を」のせりふを張りのある声で語った。座ったままで、出演は4分ほどだったが、救出される喜びを、左手だけの動きで表現。風格漂う演技に「お見事」「日本一!」と声がかかった。

福助は車で劇場入りし、共演する俳優たちの楽屋にあいさつをして回った。取材対応こそなかったが、公演筋書に、福助は「この5年近く、毎日のように芝居の夢を見ました。目覚めて涙したこともありました。まだ万全ではないですが、見守っていただけましたら幸いです」とコメントを寄せた。長いリハビリ生活を送り、香瑠夫人、そして「金閣寺」で祖父7代目中村芝翫、父福助が何度も演じた雪姫に初挑戦した長男の中村児太郎が支えてきた。

つらい4年10カ月だっただろう。13年11月の歌舞伎座公演中に体調不良で休演し、その後降板した。脳内出血による筋力低下で長期療養を余儀なくされた。14年3・4月の歌舞伎座で予定した7代目中村歌右衛門襲名披露興行も延期した。今回の復帰まで、福助は公の場に姿を見せることはなく、弟の8代目中村芝翫襲名の時も、表舞台に出なかった。

福助の7代目歌右衛門襲名は、亡くなった父先代芝翫の悲願だった。先代芝翫の祖父は5代目歌右衛門、父は5代目中村福助。長男だった5代目福助は本来なら、5代目の跡を継いで6代目歌右衛門を襲名するはずだったが、33歳の若さで亡くなった。そのため、5代目の死後に、6代目を襲名したのは叔父だった。先代芝翫は11年に亡くなったが、生前、松竹の幹部に、6代目の死後に空席になった「歌右衛門」を長男福助に襲名させるように依頼していた。13年に襲名が発表されたが、直後に福助に病魔が襲った。

今回、福助は復帰したが、襲名については未定という。5代目福助、7代目芝翫、そして9代目福助と3代にわたっての悲願だった「歌右衛門襲名」が実現するのか。今回の復帰はあくまで通過点だろう。「完全復活」の先に襲名も見えてくるはずだ。

     【林尚之】