ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ~

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「アゲアゲさん」絶望救ったユーチューブとの出会い

<挫折からよみがえった男~将棋ユーチューバーからの逆転人生~(中)>

ネット上では「アゲアゲさん」と呼ばれ、「将棋ユーチューバー」として活躍する将棋のアマチュア強豪、折田翔吾アマ(30)が25日、プロ入りをめざす棋士編入試験の5番勝負第4局に臨み、本田奎(けい)五段(22)を破り、対戦成績3勝1敗で合格した。

大阪市内の自宅でYouTubeにアップする動画を編集する折田翔吾アマ(撮影・松浦隆司)
大阪市内の自宅でYouTubeにアップする動画を編集する折田翔吾アマ(撮影・松浦隆司)

大阪府出身の折田アマは棋士養成機関「奨励会」の最上位の三段まで昇りながらも、26歳の年齢制限に阻まれ、退会しました。夢を絶たれた瞬間を「死んだという感覚に近かった」と話す折田アマ。ある者は絶望し、ある者は今後の人生に途方に暮れ、将棋と縁を切る者もいます。

「ニッカンスポーツ・コム」のコラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」では26日から3回にわたり、折田アマのプロ入りへの軌跡を連載します。記事とともに「アゲアゲさん」の本人動画もアップ。熱いメッセージをお届けします。

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「自分のこれまでの将棋を遊び駒にしたくない」

16年3月、折田アマは三段リーグ最終日のラスト2局に臨みました。すでに大きく負け越し、四段(プロ入り)昇段の夢は途絶え、26歳の年齢制限により、退会が決まっていました。

リーグ戦では黒星が先行し、昇段の可能性がなくなると、将棋から距離を置きました。家族や周囲の応援に応えられなかったふがいなさ。孤独でした。ただラスト2局は、投げやりにならず、今後の人生をかけた大一番と位置づけて、臨みました。

「ここでいいかげんな将棋を指したら、今後もダメになっていく」

人生の進むべき道が閉ざされて、酒に溺れ、自暴自棄になる奨励会の若者もいます。

最終日の第1局の相手は佐々木大地三段(現五段)。当時、佐々木三段は最終日に2連勝すれば、自力で四段に昇段できる状況でした。

「普通は退会が決まっていたら、将棋に向かうのは難しい状況だと思います。ただ、こう、全体として、自分の全力を出し切らないといけないなと思った。他の昇段争いをしている人にも迷惑をかけたらいけないなと思った。最低限の自分の力を出したいと」

最終日に向けて約2週間、準備をしました。第1局の佐々木戦は熱戦の末、なんとか白星を挙げることができました。

「相手の足を引っ張る形だけど、ものすごくうれしかった」

第2局で対戦したのが、三段リーグに上がってきたばかりの山本博志三段(現四段)。折田三段の最後の対局でした。「自分の昇段がかかる大一番の気持ちで勝ちたいと思った。作戦的にはうまくいって、ペースをにぎり、途中はもつれたが、なんとか勝てた将棋でした」。山本四段は今回の棋士編入試験の5番勝負第3局で対戦し、折田アマが勝利した相手でした。プロ棋士とアマチュア。試験を受ける立場でしたが、巡り巡った不思議な縁でした。

「その日は連勝で気分がよく、三段に上がったときのようなうれしさがあった」。ただ翌日からじわじわと、絶望感にさいなまれました。

「1つの人生が終わった。死んだという感覚に近かった」。

プロ棋士になる夢は破れましたが、紙一重の差で決まる勝負の世界に身を置き、ラスト2局に全力で立ち向かいました。2連勝に、前に進む勇気をもらいました。小学6年のとき、ネット対局に夢中になり、大好きになった将棋…。純粋に楽しむためだけにパソコンに向かいました。わきあがる強い思いがありました。

「将棋は人生の一部。自分のこれまでの将棋を遊び駒にしたくない。将棋を自分の人生という盤の中で遊び駒にしたくない。将棋を続け、何か新しいことをやってみたい」

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新しい道へ進もうとしたとき、ユーチューブとの出会いが転機になりました。16年3月に退会後、同年4月、動画共有サイト「ユーチューブ」で「将棋ユーチューバー」としてデビューしました。チャンネル名「アゲアゲ将棋実況」。デビューはしましたが、ネットの世界では「無反応」でした。

「最初の1カ月はだれも見ていないような状態でした。多くて動画の再生回数は300回。それでも毎日投稿していたら、1カ月がたったころ『発見』され出したみたいです」

登録者数が1日に50人、100人と急増していきました。これまでユーチューブではゲーム実況、攻略の動画が見るのが好きでした。そこで考えたのが将棋でもできないか? 将棋アプリケーションソフトの対戦を「解説」したり、自身が指すインターネット将棋の実況しながら、ほぼ毎日、コンテンツを投稿しました。

「♪アゲアゲ将棋だよね~」。番組冒頭、声のトーンを少し高めにして、折田アマが歌い出します。「将棋ユーチューバー」としてネットの世界に浸透していきました。

投稿する動画も進化していきました。「新しい感覚でした。勝負だけではなく、みてもらっておもしろい将棋を指す、エンターテインメント的な要素のある将棋もやるようになりました」。大阪出身だけに笑いの要素も盛り込んだ。素朴なしゃべくりの中に、時折、ボケとツッコミが入ります。切れ味はかなりのものです。

それまではユーチューブでは奨励会で三段まで登りつめた高段者が「解説」することは、ほとんどなく「未開のフィールド」であったことも幸運でした。さらに将棋コンテンツはユーチューブで収入を得ることにも適していました。動画の再生回数とともに、投稿した動画をみている「滞在時間」もカウントされます。解説途中に視聴をやめる人は少ない傾向だといいます。

「アゲアゲ実況将棋」の現在のチャンネル登録数は約3万7500人。総視聴回数は2100万回以上。現在、チャンネル登録者数1万人を超えるユーチューバーは国内に1万5000~2万人がいるとされます。トップクラスのユーチューバーは「年収10億円」ともいわれますが、「アゲアゲさん」の1カ月の収入は「1人暮らしするとするなら、ギリギリのライン」だそうです。

退会後の生活の基盤ができたことが精神的な安定をもたらしました。

「ユーチューブがなければ、編入試験まで来ることはできなかった。将棋に取り組んでいたかどうかすら分からないところがある。応援していただけることがモチベーションになり、収入面もモチベーションになった」

さらにAI(人工知能)を利用した将棋ソフトの進化が将棋界に変化をもたらした時期でした。AIはトップ棋士を上回る領域に達したと言われ、若手棋士は便利なツールとして普通にAIを使う時代になりました。

折田アマの師匠森安正幸七段(72)は言います。

「折田君と時代背景が合ったのでしょう。AI時代がプラスに作用したのかもしれないですね」

奨励会の三段時代、自称「弱三段」だったという折田アマ。退会後、AI時代が到来し、勝負師にとって最も足りなかったものを手に入れます。(つづく)

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)

 ◆村上久美子(むらかみ・くみこ) 大阪(泉州)生まれ。91年入社。関西の芸能社会を中心に取材。吉本興業、宝塚歌劇、短期間ながら阪神タイガースと、関西発の3大ホットコーナーをはじめ、NMB48まで、取材歴は20年以上。

 ◆松浦隆司(まつうら・たかし) 大阪生まれ。92年入社。関西を中心にスポーツ紙の社会面担当としてエロから政治まで、ダークサイドも含め取材歴は20年以上。和歌山毒物カレー事件、橋下徹前大阪市長は茶髪弁護士時代から取材。

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