歌舞伎俳優の尾上右近(34)がこのほど、大阪市内で自主公演「研の會(かい)」(9月5、6日、大阪・国立文楽劇場)の取材会に出席しました。

「何かを渇望するような思い」で15年に始めた自主公演は今回がファイナル。演目は長らく上演されていなかった「藝阿呆(げいあほう)」、初役となる「鷺娘」、さらに右近の原点とも言うべき「春興鏡獅子」の3本です。

23歳で始めた「研の會」は、当初、結果が伴わない中での自己投資の場でもありました。「10回はやる」と掲げて続け、ファイナルを迎えるいま、「すがすがしい気持ち。続けられてよかった」と節目への思いを語りました。

続けてきたからこそ、表現者として見えてきたものがあります。右近は公開中の大ヒット映画「Michael/マイケル」を鑑賞し、改めてマイケル・ジャクソンの表現における“間”の力を感じたといいます。

強く印象に残ったのが1993年の米プロフットボールNFLの王座決定戦スーパーボウルのハーフタイムショーでした。

「『登場してサングラスを外したら演奏を始めてくれ』って約束して、3分間立ってるだけで観客が熱狂していった。あのマイケルを見て“間”こそが表現における一番重要なことなんだと」

演奏が始まる前の沈黙と静止。その時間が長くなるほど、観客の熱狂は増幅していったといいます。右近はその姿に、表現の本質を見ました。

「舞台の上ではすぐ何かを発信しなければ、と思ってしまいますが、実は何も発信しないことが一番の発信だということがあって。曽祖父が遺した『間(ま)は魔に通ずる』という言葉がありますが、表現において間が非常に重要だと、マイケルの映像を観て改めて感じました」

あえて動かない。余白を恐れず、観客の期待と緊張を引き受ける。その“間”こそ、右近が今、表現において大切にしようとしているものです。

「僕も3分間動かない『鏡獅子』をやって、大いにクレームをいただこうかな」

冗談めかして笑わせながらも、その言葉には本音ものぞきます。3分間、舞台上で動かずにいることは「地獄のように長く感じる」はず。それでも、観客を引きつけ、何もしないことで最大の表現に近づく。右近の意識は、まさにそこへ向かっています。

第10回でファイナルを迎える「研の會」。右近が10年で研いできたものは技巧を足し続けることだけではありません。そぎ落とし、静けさや余白の中に宿る力を信じること。マイケル・ジャクソンに見た“間”を胸に、右近は原点の「鏡獅子」とともに次の境地へ踏み出そうとしています。

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)