名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第30回は、1971年(昭46)に発表されたつのだ☆ひろの代表曲「メリー・ジェーン」です。愛しの女性を思う切ない気持ちを歌ったバラードの名曲ですが、実はその相手の名前はメリー・ジェーンではありませんでした。一体なぜなのでしょうか…。

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メリー・ジェーンは、東京の上智大に留学していた20歳の女子大生だった。「ソバカスのかわいくて、米国の牧場が似合う女の子だった」。作曲者つのだ☆ひろが振り返る。

つのだは、1970年(昭45)に「渡辺貞夫カルテット」でドラムをたたいていた。ミュージシャンと、今で言う追っかけのファンとして2人は出会った。

「メリー・ジェーン」の正式タイトルは「MARY JANE ON MY MIND」。つのだが好きな米国のミュージシャン、レイ・チャールズの「GEORGIA ON MY MIND」から取った。同曲の邦題「我が心のジョージア」と同じように訳せば「我が心のメリー・ジェーン」となる。つのだが音楽に託した愛の告白というときれいだが、実際は少し違ったようだ。

つのだが好きだったのは初恋の人、マーガレット・ハーシーだった。やはり上智大の留学生で、彼女の友人がメリー・ジェーンだった。「細面、ちょっと金色がかった栗毛(くりげ)色の長い髪の毛がすてきだった。明るい女の子でね」。一目ぼれしてしまい、彼女に英語のラブソングを贈ろうと思いつく。ただ、マーガレット・ハーシーという名前は少し長く、音符に当てはまりにくい。呼び名は「マジー」か「マギー」だが、それでは逆に短すぎた。思案した結果、友人のメリー・ジェーンが頭に浮かんだ。

名曲「メリー・ジェーン」が世の中に登場するのはそれから2年後。つのだは伝説のギタリストで、ギターの神様と称された成毛滋(なるも・しげる)さんとバンド「ストロベリー・パス」を結成していた。日本語ロックというと、バンド「はっぴいえんど」の存在意義を強調する音楽評論家は多いが、「ストロベリー・パス」も、時代を先取りした日本の先駆け的ロックバンドとの玄人筋の評価は高いバンドだった。その後に改名した「フライド・エッグ」には、高中正義、柳ジョージもメンバーとして名を連ねた。

つのだは、成毛さんの協力で曲を完成させた。つのだの頭の中にあった詞は「MARY JANE ON MY MIND」と最後の「I LOVE YOU」だけ。成毛さんの友人で外資系の広告代理店に勤務していた蓮見富士夫さんが残りの詞を引き受けてくれた。

当時ディレクターだった本城和治さんは、成毛さん、つのだという実力派ミュージシャンを本格的ロックバンドとして売り出したいと考えていた。「GSとは違い、本物のハードロックをやりたかったんです」。デビューシングルの候補として、ハードロック路線もあったが、営業サイドの「『メリージェーン』がいい」という声もあり、結局、A面を勝ち取った。71年6月25日、「メリー・ジェーン」が発売された。

本城さんは「歌で理想の女性像をつくりたかった」と言うものの、思惑と違って「メリー・ジェーン」はなかなか売れなかった。オリコンランキングも、100位と200位の間を行ったり来たりという状況だった。

ところがその後、曲の人気に、じわじわと火が付いた。「雪」に合う曲として、札幌の有線放送でリクエストのベスト5を5年間もキープした。息の長い曲としてカラオケで歌い続けられた。ディスコのチークタイムでもよく使われたが、つのだは「なぜかキャバレーのエンディングか、ストリップ劇場でもよく使われるんですよね。25年間1度も廃盤になっていないことが実は自慢なんです」と笑う。 【特別取材班】

※この記事は96年12月10日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。