スタジオジブリ作品のメガヒットは、平成を象徴する出来事だった。01年公開の「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の興行収入308億円は、平成が終わろうとしている今も、洋画、邦画も合わせて、日本の歴代興収NO・1だ。スタジオジブリの代表取締役プロデューサー、鈴木敏夫氏(70)が当時を振り返った。

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スタジオジブリ製作の平成最初の作品は「魔女の宅急便」(89年)だ。下降傾向だった数字(当時は配給収入)がぐんと上向いた。宣伝に本腰を入れ、日本テレビに出資してもらったことが大きかったという。

鈴木氏 東映のある人に「数字がだんだん下がってる。そろそろ宮崎(駿)さんも終わりかな。映画は数字を出さないと」と言われたんです。言われたその足で(作品の)放送でお世話になっていた日本テレビに行き、正直に、力を借りたいと言いました。

数字だけを見ると、その後4作品は高め安定で推移し、「もののけ姫」(97年)が興収193億円を記録、「南極物語」(83年)の持っていた日本作品興収1位の110億円を塗り替えた。タイアップやイベントなど、さまざまな宣伝手法を駆使した結果だった。

鈴木氏 それまで12カ月で作っていたものを、24カ月で作ると決めたので、製作費も倍になったんです。採算分岐は、「南極物語」を超えなきゃいけないと分かったんですよね。宣伝をまじめにやりました。

4年後には「千と千尋-」で、興収308億円の記録を作った。「いって20億~30億円」と分析する者もいたが、軽く覆した。鈴木氏は「カチンときて、火がついた」そうで、公開スクリーン数を「もののけ姫」の倍にし、倍の宣伝費をかけた。

映画館の変化も大きい。90年代前半に登場したシネコン(複数スクリーンを持つ施設)が増え、93年の1734スクリーンを底に増加に転じ、06年に3000スクリーンを超えた。「千と千尋-」公開の01年は、スクリーン数増加の最中で、「いろんな映画館、どこもかしこも上映するという社会現象になった」(鈴木氏)。ただ、手放しで喜んだわけではなかった

鈴木氏 本当によかったのかと、後で考えてしまいました。「千と千尋-」をやることによって、いろんないい映画が上映できなかったかもしれない。振り返ると平成のなせるわざですよね。浮かれて、1本の映画にみんなが来るとか。2つの作品を通じて、ヒットしなくてもいいから、ある程度お客さんが来てくれれば、いい作品を作りたい、と正気になりました。

女性の社会進出が進んだことにも話が及んだ。

鈴木氏 平成を振り返ると、男は変わらなかったけど女はどんどん変わって、平成はまさに女性の時代。ジブリの主人公はみんな女の子。女性の変化をとらえた作品を作り続けた。ジブリは平成とともに歩んで来たのかなあ。

現在、宮崎監督は、新作「君たちはどう生きるか」に取り組んでいる。

鈴木氏 (主人公は)少年です。この夏で製作に入って3年ですね。少なく見積もってあと3年くらいはかかるかなあ。ゆっくりやってます。

まもなく新元号が発表される。新しい時代について、鈴木氏は「昭和は激動、平成は軽佻(けいちょう)浮薄。次は何かなあ。分からないことがおもしろい。ただ、どんな時代も良いことは必ずあります。そう思います」と希望を語った。【小林千穂】

▽「平成狸合戦ぽんぽこ」(94年)は当初、「狸合戦ぽんぽこ」だったという。鈴木氏は「山をめぐる人間とタヌキの戦いというばかばかしい話。高畑(勲)さんが『平成狸合戦、としませんか。ばかばかしいものをもっともらしく見せるには、平成を利用しないわけにはいかない』と言ったんです。2人で平成について話した時、平成ってどう思いますかと聞かれて、軽いですよね、と答えたのかな。時の総理(=細川護熙元首相)って、平成を象徴するような軽さを持った人でしょう。平成でなきゃ考えられなかった。それに乗っかったんです」。