今や江戸の庶民文化研究の第一人者となった時代小説家・車浮代氏の14年のデビュー作「蔦重の教え」が双葉文庫で文庫化された。

リストラを強要され、江戸時代にタイムスリップした55歳の男が、20代半ばに若返って浮世絵の版元・蔦屋重三郎の下で新たに生きる指標を学ぶ姿を描いている。SFでありながら、ビジネス書としても楽しめるユニークな作品だ。

小さな広告代理店での課長を務める55歳の主人公、武村竹男は早期退職を強要される。泥酔して自暴自棄になって東京・吉原のソープランドに向かう途中にタイムスリップする。気が付くと今から230年以上前の江戸・吉原にいた。10代将軍徳川家治の時代で、容姿は20代半ばの若者に戻っていた。タケという名前を付けられ、浮世絵の版元・蔦重こと蔦屋重三郎の下で働き始める。蔦重は浮世絵の版元で、喜多川歌麿や写楽を売り出した仕掛け人だ。現代でいう出版プロデューサーから生きるすべを学んでいく。

7年前に出版された当時は、現代から江戸時代へタイムスリップ、作中で明かされる写楽の意外な正体など荒唐無稽とも思われる展開に驚かされた。だが、この7年間でITメディアの進化、そして人類史上未曽有の新型コロナ禍を経験する中で、この作品に込められた作者の意図が新たな意味を持つ。

車さんは大阪芸大在籍時にハードロックのバンドを組んでいた。卒業後、印刷会社のアートディレクターから電気機器メーカーのグラフィックデザイナーを経て、シナリオライター、作家に。

大好きな浮世絵について学び、知るうちに江戸の文化にどっぷりとはまっていった。蔦屋重三郎に出会い、歌麿、写楽を売り出した立身出世の人の生きざまに興味を持った。また、江戸庶民の生活に注目して、江戸料理の研究家としてもテレビ、雑誌でなじみの売れっ子となった。

この作品を書くまで20年以上も、その人となり、人生を小説にしたいと思っていた蔦屋重三郎について、車氏は「タイムスリップにしたのは私自身が会いたいと思ったから。江戸に行って謎の浮世絵師と言われる写楽の正体を見極めたいと思った。当時の息吹を現代の皆さんに伝えたい。それなら現代人が行くのが一番伝わるんじゃないかなと。江戸の空気感を感じ、その時代に、こういう人がいたんだと知って欲しい」と話している。

日進月歩の歩みの現代を、遠く江戸から眺めて、その様を描き出す車氏。この作品を読み返しながら、次はどんな世界を浮世絵のように浮かび上がらせてくれるのか楽しみになった。

◆車浮代(くるま・うきよ)大阪府生まれ。大阪芸大デザイン学科卒後、東洋紙業でアートディレクター、セイコーエプソンでグラフィックデザイナーとして勤務。その後、映画監督の故新藤兼人氏に師事してシナリオを学ぶ。04年のシナリオ「アメン棒」で第18回大伴昌司賞大賞受賞。国際浮世絵学会会員。日本ペンクラブ会員。趣味は落語、浮世絵収集、小唄、茶華道、酒のさかなづくり、美術鑑賞、映画鑑賞、盆踊り、写真、CGなど。