マジシャンとして活動しながら20年間海外に滞在し、“人力”世界一周に挑戦中の岩崎圭一氏(49)が、イギリスのお茶の間を沸かせている。同国の人気オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント(BGT)」予選で、準決勝へ一発通過を決める「ゴールデンブザー」を日本人で初めて獲得した。このほど日刊スポーツのリモート取材に応じ、旅の動機や展望を語った。(敬称略)

 

-BGTでは日本人初となるゴールデンブザー、おめでとうございました

岩崎 ありがとうございます。いろんな方からお祝いの言葉をいただいて。オーディション(予選)の時の動画もすごい再生数いっているみたいで。ゴールデンブザーの力を感じています。

-BGTのお話もうかがいたいのですが、まずは旅の経緯から聞かせていただければと思っております。20年間海外で生活されているということですが

岩崎 はい。01年4月、ポケットに160円だけ入れて、もちろんクレジットカードとかもない状態で。出身地の群馬・前橋を飛び出しました。それまでは父の経営する地元の小さい会社で働いておりまして。父の仕事を手伝っている感じでした。

-きっかけは

岩崎 28歳になって、このままでは人生があっという間に終わってしまうと思って。働いてお金を稼ぐより、自分のやりたいことを優先したいなって思ったんですね。それだったら、じゃあお金はなるべく無しにして、自分のやりたいことをこうやってみたいなって。あまり、褒められたものではないと思うんですけど…(苦笑い)。

-今でも“無銭”“人力”にこだわり続けていらっしゃいます

岩崎 21歳の時にオーストラリアに行ったんですけど、当然お金も持っていくので、海外でも特に不自由なく、ある意味日本にいるような感じで過ごせてしまったんです。そこでなんか、自分はすごくお金に依存してるなぁ、って感じていたんですね。それでテレビ(「進め!電波少年」)で猿岩石さんが、ヒッチハイクでユーラシア大陸横断をやっていて。だからそういうスタイルで、もしかしたらいけるかも? と思ったんですね。

-群馬を出てからすぐ海外に行かれたんですか

岩崎 本当はすぐ行こうと思ってたんですけど、やっぱりなかなか難しくて。それに、ちょっと日本国内を見て経験を積んでから行こうと思ったんですね。

-新宿でホームレス生活も経験しているとか

岩崎 そうなんです。2カ月くらいですか。お金の必要性が分かればと思ったんです。つまりは、それまで僕はあんまり苦労してこなかったってことですね。そこから47都道府県を回ってみてから海外に行こうと思って。

-47都道府県行くだけでも大変そうです

岩崎 最初は沖縄まで行きました。貨物船に乗せていただいて、皿洗いとか掃除とかをしながら。そこから鹿児島に戻って、順次北上していきました。九州から山口に渡って、本州をずっと行って、北海道の宗谷岬まで。そこで47都道府県が終わったので、一応日本編は終わりかなということで。

-移動手段は

岩崎 基本はヒッチハイクですね。いやもう本当に、日本の方々が素晴らしかったですね。車に乗せてもらえるのがすごくありがたくて。最終的には、その中で知り合った京都の方に、韓国行きのチケットをいただいて。フェリーで日本を出ました。02年の3月ですね。

-ついに海外生活スタートです

岩崎 韓国でもヒッチハイクで、釜山からソウルまで行きました。フェリーで中国に渡って、そこで3000円で最初の自転車を買ったんです。よく「160円と自転車だけで群馬を出た」って言われるんですけど、厳密に言うと自転車で移動していったのは中国からなんです。それまではずっと、ヒッチハイクとか、おめぐみをいただいたりとかで…あんまり、良くない感じだったかもしれません(笑い)。

-自転車1つで旅するだけでもすごいことですが、岩崎さんの場合はそれだけじゃないんですよね。エベレストを登頂したとか…

岩崎 シンガポールまで行って、マレーシア、タイ、ラオス…。中国に戻って、チベットからネパールに行く時、エベレストを見たんですね。「世界一高い山だけど、もしかしたら登れるのかな」みたいに思いまして。軽い気持ちで、だったらやってみようって思ってしまったんです。160円しか持っていない状態からネパールまで行けたので、これはやる気を起こせばエベレストも登れるんじゃないかなと思って(笑い)。

-しかも、ただの登頂じゃないんですよね

岩崎 一般的には、エベレスト登る際には飛行機で2800メートルくらいの地点まで行って、そこから登頂を目指すそうなんです。でも、それがちょっと自分的には、なんかもったいないというか。どうせ登るんだったら、やっぱり海抜0メートルから人力のみで行きたいと思ったわけです。途中まで自転車で行って、そこから歩きで。1年くらいかかりましたね(笑い)。

-登頂後は

岩崎 山頂に着いたら、今度は海抜0メートルまで人力と、川下りで行こうと思うわけです。途中まで歩きで戻って、自転車を回収して。インドのベナレス(バナラシ)でボートを手に入れて、自転車をいったんバラバラにして積んで。ガンジス川を下っていきました。淡水から海水に変わって、そこで一応海抜0メートルということで。

-あのガンジス川の水も飲まれたとか

岩崎 自分は胃腸に自信があったので。あえてチャレンジしてみたんですけど。まあ、無謀な自己満足の挑戦ですね、はい。申し訳ないです(笑い)。

-路上でマジックを披露しはじめるのはこの頃ですか

岩崎 そうですね。正確にはネパールからだと思います。もともとは趣味だったんですよ。中学校の時、技術の授業で、結構年配の先生が、よく手品をしてくれたんです。それが好きで。趣味としてやっていたんですね。そこから、町に着いたら路上で手品をして、帽子を置いて、投げ銭をしてもらって。それで自転車で次の町に行くっていう。

-少しずつ進んでいくんですね

岩崎 パキスタンから、イランに行って。このあたりの地域は、当時アメリカ同時多発テロがあった後だったので、危ないと言われていたんですよ。でも僕は自転車だし、お金も持ってなさそうだし、大丈夫かなっていう感じで、なんか通らせてもらえましたね。ほとんど砂漠で、でもたまに大きな町があって。そして、カスピ海があったんですよ!

-ありますね(笑い)

岩崎 はい(笑い)。世界最大の湖が。さすがにその中央を断するわけではなくて、南岸を手こぎボートであの横断するという企画を…(笑い)。

-企画(笑い)

岩崎 やっぱり世界最高峰とか、世界最大とか、興味ひかれてしまいますよね。そしてアゼルバイジャン、ジョージア、昔は「グルジア」って言っていましたけど。トルコ、ボスポラス海峡を渡って、ブルガリア。ヨーロッパです。結局ポルトガルのロカ岬まで行って、ユーラシア大陸の一番西まで。そこから折り返して、イタリアとかをぐるぐるしていましたね。

-いつごろの話ですか

岩崎 10年とか、11年とか。

-ようやく20年の海外生活の半分ですね

岩崎 13年ぐらいから、芸に力を入れるようになっていったんですね。それまではとにかく生き抜くために芸をしていたんですけど、ヨーロッパに入ってから、特にイタリアの大道芸人さんを見て、すごく見ている人を楽しませるのがうまくて。もっと自分も見ている人を楽しませられたらいいなと思ったんです。イタリアは今でも大好きな国の1つなんですけど、お客さんの反応もすごくいいんですよ。それまでは簡単な古典マジックしかやっていなかったんですけど、そこから少しずつ芸を磨いていきました。

-「BGT」でも披露されたリングの空中浮遊マジックはここから生まれたんですね

岩崎 はい。そして、15年にローマの路上で芸をしている時に、「イタリアズ・ゴット・タレント」のスタッフの方が通りがかって、「君、面白そうだからテレビでやってみないか」って言われて。放送されたのは16年だったんですけど、それが初めての「ゴット・タレント」でしたね。

-セミファイナルまで進んで、手応えもあったのでは

岩崎 ちょっとずつ、大勢の前でも芸をしてみたいなと思いはじめていたので、テレビに出られて、結構審査員の皆さんもお客さんもリアクションが良くて。そこのリアクションがすごくよくて。もちろん、テレビに出たのも初めてだったんですけど。イタリアの番組に出て、いつかはやっぱり、スーザン・ボイルさんとか、ポール・ポッツさんとかが出ていた「ゴット・タレント」オリジナルの「BGT」に行きたいなと思いました。

-イタリアの後にも何カ国か「ゴット・タレント」に出られています

岩崎 やっぱり「BGT」は特にレベルが高いんです。すごく難しいと言われていたので、自分はまだまだ、と思っていて。それで、武者修行の意味も込めて、いくつかの国に行きました。19年にはスペイン版の「ゴット・タレント・エスパーニャ」で決勝まで行かせていただきました。

-20年からはコロナ禍も

岩崎 やっぱり最初は大道芸も全然できなくて、結構つらかったですね。なるべく物価の安いトルコとかに行って、なんとか節約しながらしのいでいました。

-昨年放送されたブルガリア版の「ゴット・タレント」ではゴールデンブザーを獲得されました

岩崎 初めてゴールデンブザーをいただいて、こちらも決勝に。その動画を見たドイツの番組からもオファーをいただいて、決勝まで行かせていただきました。これが昨年の12月ですね。

-どの国の番組でも、現地の言語を流ちょうに話されているのに驚きました。どのように習得されたのですか

岩崎 英語はもともと日常会話程度はなんとか話せたので、もともと路上では基本的に英語で芸をしていたんですが、お子さんとかが結構いたりするんですね。やっぱり、英語圏でないところは、子供は英語が分からないんです。そこでお父さんとかお母さんとかが指示をしてくれたりするんですけど、そういうのをずっと繰り返していくうちに、聞いて覚えていきました。やっぱりお子さんにも楽しんでほしいので、できるだけあいさつとか、簡単な言葉からでも、現地の言葉で話すようになっていきました。

-それにしても審査員とちゃんとコミュニケーションできているのはすごいです

岩崎 最初は現地の人の会話でよく使う単語から、つなげていく感じですね。さすがに簡単な単語だけではダメなので、最近は現地の人に頼んで、スマートフォンに吹き込んでもらうんです。その録音を何回も聞いて、覚えていっていますね。多分、文法とかをしっかり分かる方からすると、ちょっとおかしい言葉をしゃべっていると思います。

-何カ国語くらいしゃべれるんでしょうか

岩崎 ネパールとかも2年ぐらいいましたし、インドも長くてですね…。ブルガリアとか、トルコも結構好きでして。難しい会話はできないかもしれませんけど、日常会話くらいだったら10カ国くらいでしょうか。ドイツ語とかは結構まだ分かっていない部分も多いんですよ。

-そんなさまざまな経験をを積んで、ついに「BGT」に応募するんですね

岩崎 はい。僕個人的に“人力”にこだわっていまして。やっぱり、大西洋を手こぎボートで渡りたい、というアイデアがずっと前からあったんです。そしたらブルガリアの「ゴット・タレント」に出た時、実際に大西洋を横断したっていう方がいて、話をうかがったら、「ちゃんと計画すればできるよ」って言われて。さらにインスピレーションを受けまして。いよいよ実行しようと思った時に、大西洋横断の手こぎボートというのが実際にあって、それを作っている会社はイギリスに多いんですよ。購入するのも、イギリスのポンドが必要じゃないですか。それじゃあもうこれはその時が来たのかな、と思って、応募しました。「BGT」の賞金はポンドなので(笑い)。

-予選に進むだけでも狭き門ですよね

岩崎 最初はビデオ審査で、1万組以上が応募していたらしいです。サイモン(・コーウェル)さんとか、審査員の前でオーディション(予選)をやる人は多分、150から200人くらい? 実際にオンエアされるのは100人くらいだと思います。

-そして5月7日(現地時間)に放送された「BGT」予選で、日本人初のゴールデンブザーを獲得します

岩崎 もうあの時は、本当にすごかったですね(笑い)。自分の希望としては「3イエス」(審査員4人中3人以上がイエスをつけると次の審査に進む資格が発生する)以上、もしくはサイモンさんとか審査員さんがいいこと言ってくれれば大満足、的な気持ちで挑んだんですけど、指輪の手品を終えた後に、審査員の方々が立っていて。4人とも立ってくれたので、「これは4イエスかも」と思って。

-辛口で知られるサイモンさんからも「今までで最高の1人だ」と絶賛されました。会場の観客からは「プレス・ザ・ゴールド!」コールも起こった

岩崎 すごくうれしかったですね。それで、アリーシャ(・ディクソン)さんから1人ずつ「イエス」と言ってくださって、ああこれは4イエスだって思っていたら、後ろからドタドタドタって足音がして。その足音はもう、(司会の)アント&デックしかいないんですけど。

-ゴールデンブザーは審査員だけでなく、通常の審査には加わらない司会者も1シーズンに1回だけ、押せるんですよね

岩崎 はい。YouTubeでそのシーンをずっと見ていたので…(笑い)。

-いわゆる「確定演出」ですね

岩崎 そうなんですよ! もう「出てきた!」と思って。そして2人が階段を下りていって。「あのシーンか。あのシーンに自分がいるのか!」みたいな感じで。もう本当にすごく興奮状態で。正直、記憶が本当に曖昧なんです。もう自分が何をしゃべったか、何を言っていたかもあまり覚えてなくて。放送を見て初めて、こういう感じだったんだ、と(笑い)。

-マジックを披露する最中に、「アント&デック」を「デック&アント」と逆に呼んだのも会場を盛り上げました

岩崎 あれは実は、直前に舞台裏を撮影しているカメラマンの方に「次はアント&デックのところに行ってきます」と言ったら、カメラマンさんから「イギリスでは本当は『デック&アント』って呼ぶんだよ」って言われたんです。僕は本気でそれを信じちゃいまして。「なるほど、ちょっと呼びにくい気がするけど、本場ではそうなんだ」と思って…(笑い)。

-ゴールデンブザーでステージに降ってきた金テープもうれしそうに持って帰っていましたね

岩崎 本当に山ほど降ってきたんです(笑い)。スタッフさんみんなが「持って帰れ、持って帰れ」って言ってくださったんですよ。

-空中浮遊させたリングを人の指にはめるマジックはとてもインパクトがありました

岩崎 もちろん難しいんですけど、路上で毎日繰り返してきたので、慣れてたっていったのかもしれません。1日7~8時間、長い時は10時間以上路上に立ってやっているので。本当に路上で練習をしてる感じというか。人が立ち止まってくれない時はひたすら練習だと思ってやっています。

-いよいよ5月30日(現地時間)から5日間、準決勝の生放送が始まります。1日8人が登場して決勝進出する2人が選ばれます。

岩崎 オーディションの時の映像は、すごく編集がうまくて、普段の自分よりもな何十倍もよく見せていただいているんです(笑い)。準決勝は生放送なので、編集がないから、本当に生の僕を見てもらう感じなので…それがどこまで通用するかってことですよね。とにかく人を笑顔に、楽しませる芸をしたいです。国や地域によって笑いのツボが全然違うのも面白いんですよね。こうやって続けられている理由の1つでもあります。

-「BGT」の結果に関係なく、いずれは大西洋を横断されるのでしょうか

岩崎 そうですね。お金をためて、イギリスからアメリカ大陸に渡って。そしていつかは太平洋をまた手こぎボートで横断して、日本に戻れたらいいなと思っております。“人力”で地球を回るっていうのが、まずは1回やってみたいことなので。

-ものすごいバイタリティーです

岩崎 こうやって生きてきて、エベレストを登頂した時とか、ガンジス川下ったりとか、カスピ海渡ったこととか、すごく鮮明に覚えているんです。やっぱり、そういうのを自分はやりたいと思っています。

-まだまだ海外滞在歴は続いていきそうです

岩崎 こういう生活を続けているうちに、国とか地域とかにあんまりとらわれない感じになってきた部分があります。もちろん自分は日本人ですし、日本が大好きですけど、宇宙から見たら、すごくちっちゃい星で、そこでみんな一緒に住んでいるので。僕は「ガンダム」世代なんですけど、もう地球が1つの故郷というか。大げさな言い方ですけど、この時代に生きている人はみんなが兄弟というか、みんな仲間みたいな。みんな仲良く、世界も平和になればいいなと思っています。だからもう「海外」って概念がそんなにないんですよね。

-なるほど

岩崎 それに、今はインターネットがすごく助けてくれるので。よく「日本に戻っていなくて寂しくないですか」って聞かれるんですけど、両親とはスマホでビデオ通話もできますし、以前に比べてコンタクトもとても簡単にとれます。そんなに遠さを感じないんですよ。

-基本的にはこれからも路上で芸を続けていくんですね

岩崎 そうですね。やっぱり僕は人を笑わせるのがすごく好きなので、このままできる限り、世界中の、多くの人の笑顔を作っていけたらいいなと思っています。すごく難しいことよりも、人をこう楽しませるような芸がしたいです。「あははは」って笑える芸を。群馬を出て、お金を全く持ってない時に、皆さんがすごく親切にしてくれたんですよ。日本国内でも、韓国でも、中国でも、ネパールでも。それで何とか進んでいけたんですよ。その人たちに直接はお返しができないかもしれないですけど、今度は自分のできることをやって、ちょっとずつお返ししていきたいと思っています。

-岩崎さんはマジックを披露する際に、「ドラゴンボール」など日本のアニメ作品のせりふを使うこともあります

岩崎 「ドラゴンボール」はどの国でも結構知っている人が多いですね。あと「北斗の拳」とか、ゲームの「ストリートファイター」とか。自分は小学校の時に空手を少しやっていただけなんですが(笑い)。技を出す時に、そういう作品の中の日本語をポイントで入れると、結構みんな楽しんでくれるんですよ。織り交ぜながらやっていますね。

-「BGT」の予選でも「元気玉~」(ドラゴンボールの技)と言っていました。準決勝に向けて、日本からも「元気玉」パワーをお送りしたいです

岩崎 ありがとうございます! 「BGT」のYouTubeのコメントでも、日本語のコメントをたくさんの方々からいただいて、日本語訳の動画を作ってくださった方もいて。皆さんすごく温かいお言葉をくださっていて、本当にうれしいです。力になっています!

【取材・構成=横山慧】

 

◆岩崎圭一(いわさき・けいいち)1972年(昭47)9月20日、群馬県生まれ。性格は「恐ろしいほど前向き」。好き嫌いは無く何でも食べられる。独身。169センチ。血液型B。

 

◆ブリテンズ・ゴット・タレント 07年にスタートした人気オーディション番組。毎年1万組以上が応募し、優勝賞金は25万ポンド(約4000万円)。初代王者のポール・ポッツやNHK紅白歌合戦にも出演したスーザン・ボイルはじめ、多くの歌手やタレントを輩出してきた。14年から導入された「ゴールデンブザー」は、音楽プロデューサーのサイモン・コーウェルら4人の審査員と司会者アント&デックの計5組がそれぞれ1シーズンに1度だけ押せ、「人生が変わるボタン」とも呼ばれる。