タレント小堺一機(69)が、30、31日に東京・丸の内のコットンクラブで「Kazuki Kosakai Sing,Sing,Sing&Talk!!」を開催する。スタンダードナンバーから昭和歌謡、オリジナルソングまで歌って、まねして、タップを踏んで笑わせる70分間を2日間で4公演。1977年(昭52)にTBS「銀座NOW!」の素人コメディアン道場の第17代チャンピオンに輝いた。公演への思い、そして芸能界での軌跡について聞いてみた。【小谷野俊哉】
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大学卒業と同時の1980年(昭55)に、今も所属する浅井企画所属した。
「知り合った浅井企画のマネジャーに『どういうことをしてるの』って聞かれて『僕は今、勝アカデミーで習っているんです』って話した縁です。先にやっていた先輩が卒業するっていうんで日本テレビ『紅白歌のベストテン』の前説の仕事をもらいました」
本番前に番組の段取りを説明し、笑いを取って観客を温める前説で、ウケにウケた。関西から東京に進出して、既に売れっ子になっていた同い年の明石家さんまが、小堺の前説を見て「これは、つぶしとかないかんな」と言ったという伝説が残っている。
「『紅白歌のベストテン』を大阪の寝屋川市民会館に行って生放送したんですよ。その時のプロデューサーは、僕には言ってくれなかったんですが、さんまさんが『東京で頑張ってください』って言ってくれたらしいんです。その後に『大阪で、東京の人間がちゃんとウケてるんで面白いなって思ってたで』って言ってくれましたね。『あ、つぶしとけばよかった。ここまで来ると思わんかった』って(笑い)。その頃、さんまさんはもう大阪のバラエティーの『ヤングおー!おー!』で人気が出てバリバリ。巨人から阪神にトレードされたピッチャーの小林繁さんの形態模写とかでね」
大学3年の77年に「素人コメディアン道場」で優勝したTBS「ぎんざNOW!」にも、ちょくちょく出演していた。
「『ぎんざNOW!』が最初ですから。21歳で優勝して番組に出るようになっていました。『素人コメディアン道場』は、初代が関根(勤)さんで、歴代チャンピオンには半ダースとか、僕のすぐ後のチャンピオンが竹中直人さん。最初は関西でも放送していたらしいんですけど、途中から関東ローカルになって、それで逆にそれで伝説化しちゃった番組ですね」
82年に平均視聴率が30%近かったテレビ朝日系の「欽ちゃんのどこまでやるの!」のレギュラーに抜てき。やがて関根勤(72)との“前説コンビ”クロコとグレコでブレークする。
「僕が関根さんより1年前に入ってました。『欽どこ』で先輩の斉藤清六さんにバーッて火がついて。次に僕がクロコになって、そして関根さんが来ました。コントで僕も緊張してせりふが言えなかったりして、役がなくなってたんです。それで、じゃあ、お前ら2人でやってくれるかっていうことで、クロコが2人になっちゃうからグレコになり。そこから認知されるようになりました。すごい視聴率の番組で毎週30%超え、40%近く取ったこともありました」
84年にフジテレビの平日昼の帯トークバラエティー「ライオンのいただきます」の司会に抜てきされた。
「28歳の時でした。『欽どこ』に入れてもらって2年後です。正午帯の『笑っていいとも』があって、その次の時間帯の番組がドラマからトークバラエティーに変わる時でした。その前に『いいとも』で、なぜか柏原芳恵さんから指名されてテレホンショッキングに出たんですけど。その時のことを誰かが覚えてくれてたのかなと思いますけどね。その前には、あんまりフジテレビとは接点ないですから。その時のプロデューサーは『ひょうきん族』の横澤彪さんでした。ひょうきんディレクターズだった三宅恵介さん、荻野繁さんもね」
「ライオンのいただきます」は84年10月に始まり、「ライオンのいただきます2」、「ライオンのごきげんよう」とタイトルを変えて2016年(平28)3月まで、実に31年半も小堺司会で続いた。28歳の童顔の青年だった小堺は還暦、60歳になっていた。
「『いただきます』の話が来た時は、まだ自分で仕事に口出すような時期じゃないですから。『事務所で決めてください』『やるからな』という感じです。面白いことをやりたいのに司会専任になっちゃうんじゃないかと、心配してくれた人もいました。今だったら、よく考えると思うんですけどね。なぜ、やりますって言ったのかなと思います。まぁ、最初はうそだと思ったんですよ。ドッキリだと思ってたら、本当でした(笑い)」
「いただきます」で塩沢とき、小森和子、浦辺粂子、中山あい子たち、おば様たちがぶっちゃけトークで大ブレーク。
「おば様たちのあの頃って、でも60歳とかですよ。今の僕より若かった。あの頃は50代とかすごいおばあさんだなと思って見てたけど、僕より若いんですよね。だって『3人合わせて140歳』とか『170歳』とかふざけてたけど、平均したら40、50代」
31年半続いたトーク番組の肝は、出演者がサイコロを振って出た“お題”のサイコロトーク。
「サイコロは放送作家の鶴間政行さんのアイデアです。あの頃のトークショーって『こういうことをお聞きします』という感じだったのに、その逆をやったもんです。ディレクターが各ゲストに話を聞いて、それにしましょう、気楽にしゃべってくださいと。僕は、全然知らないです。毎日毎日、大変。生でね、何が飛んでくるか分からない番組をやるのはね。だけど、その前に萩本欽一っていう人と一緒にやってましたから。『欽どこ』もリハーサルを結構したのに、次の本番の日に昨日のはなしっていうタイプのことをやってたんで。だから着地点は、ゲストが行きたい方にお前がついて行けみたいに。でも、そういうもんだと思ってました」
(続く)
▼「Kazuki Kosakai Sing,Sing,Sing&Talk!!」 東京・丸の内「コットンクラブ」。10月30、31日に午後6時開演と午後8時30分開演の全4公演。(https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/kosakaikazuki/)
◆小堺一機(こさかい・かずき)1956年(昭31)1月3日、千葉県生まれ。77年5月TBS「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場第17代チャンピオン。専大卒業後、79年4月に勝新太郎主宰の「勝アカデミー」に1期生として入学、日本テレビ系「紅白歌のベストテン」の前説を務める。80年3月浅井企画所属。80年4月~81年3月「紅白歌のベストテン」。81~86年日本テレビ系「ザ・トップテン」。81年映画「の・ようなもの」。82~86年テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!」。84年10月~90年(平2)12月フジテレビ系「ライオンのいただきます/--2」。91年1月~16年3月フジテレビ系「ライオンのごきげんよう」。81~09、20年TBSラジオ「コサキン」シリーズ。86年TBS系「痛快!OL通り」。89~90年日本テレビ系「さんま・一機のイッチョカミでやんす」。93年日本テレビ系「ゴールデンボーイズ」。13年NHK大河「八重の桜」。06年からJFN系「小堺一機のおうちで~CINEMA~」パーソナリティー。165センチ。血液型A。



