参議院議員を3期務めた「ヒゲの隊長」こと佐藤正久氏(65)が、コメンテーターに転身した。陸上自衛官時代はイラク先遣隊長を務め、国会議員になってからもSNSで発信を続けてきた佐藤氏に聞いてみた。
【小谷野俊哉】
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1960年(昭35)10月23日、福島市生まれ。83年に防衛大を卒業して、陸上自演隊に入隊した。
「元々は自衛隊に行く気はなくて、物理を勉強するために大学に行くつもりだったんですよ。だけど家が貧乏になってね。おやじの会社が倒産したり、叔父が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者で寄付をたくさんさせられたり。そういったものがあっって、おやじはいくら働いてもお金がみんな消えてしまう苦労をしてたんです。それでお金をもらいながら通える、防衛大を受けたんです。あと山口百恵さんのファンで、百恵さんと言ったら『横須賀ストーリー』。防衛大は神奈川県の横須賀市にありますから(笑い)」
96年に国連PKOゴラン高原派遣輸送隊長。04年(平16)にイラク先遣隊長、復興業務支援隊長。「ヒゲの隊長」として注目を浴びた。
「いろいろな仕事をやりましたが、広報の仕事も担当させていただいて、いろいろなことを発信して自衛隊のイメージを変えていこうとしました。それまでの自衛隊というのは、全てシャットアウトされていたので、いろいろな情報が国民に届かなかった。発信することによって、自衛隊の活動に対する理解も少しは深まったかなと思っています」
07年に参議院比例区で出馬。政治家になった。
「これはね、元々は自民党から首根っこをつかまれたっていうのが正直なところ(笑い)。京都で連隊長をやっていたんですよ。その時に自民党の方から、防衛省の方に佐藤を選挙に出せと話があった。京都の連隊長を途中でクビになって、恵比寿の幹部学校に異動させられて、そこで半年間も説得された。06年の12月末、28日に時に『お前が今、ここで転身しなかったら違う人間を探さないといけないんだ。もう決めろ』と言われました。それで終わりました」
年が明けた1月11日に退職。参院選は半年後に迫っていた。
「半年間の準備で、なんとか参院選に通りました。議員になって、やっぱり思いがあったのは自衛隊のこと。カンボジア、シリアのゴラン高原、イラクと3回のPKOを経験しました。国際貢献のためですが、自衛隊っていうのは法律がなければ1ミリも動けない。目の前で戦っている他の国の軍隊とは全然違う。でも、見た目は軍隊だし、装備も立派、規律も正しい。誰が見ても自衛隊の方が上だと思うけど、現場では大変な苦労をしていました」
海外派遣の現場で攻撃を受けても、自演隊は即座に反撃することはできない。例え、身を守るためであってもだ。
「相手が攻撃してきても、上官は撃てって言えないんですよ。攻撃の的になった個人の判断でしか、撃っちゃダメなんです。なぜかというと、上官が撃てって言うと、部隊行動になる。部隊行動になると、戦争放棄の憲法9条の関係で問題になる。組織的に動くと憲法9条に抵触しかねないという理屈でダメでした」
個人による危機回避のための攻撃だけでは、命の危険から救えない場合がある。
「敵がいて、味方が撃たれそうになっている。それに味方が気がつかないでいても、こちらから撃てない。自衛隊は国内外で行動してますから、国内でやってる活動が、海外はできない状況なんです。仕方がないので、私がやったのは、3人いたら一番の年長者が撃てと言えと。これが射撃命令と思って、みんなやれと。自衛隊は自分しか守れない、目の前に撃たれそうになっている味方がいても守れない。こんなバカな話はないでしょ。しかも敵の攻撃を受けた時に自衛官なら守れるけど、民間人だと問題が出てくるから守れない」
現場での経験を基に発信を続けた。自衛隊が守れる範囲を1歩、1歩広げていった。
「同じ仲間が撃たれそうになっていた、撃ち返しててもいいんだと。2016年(平28)の平和安全法制で、念願の離れたところにいる人を助けることができるようになりました。それまでは、自衛官とか日本人が撃たれそうになっている時に、離れているからできなかった。他の国だと当たり前のことが、やっとできるようになったんです。自国の民間人を守れない軍隊なんて、存在価値がないですからね。もう憲法9条だけを御旗に『日本人は狙われない』みたいな感じは、ありえないわけですからね」【小谷野俊哉】
(続く)
◆佐藤正久(さとう・まさひさ)1960年(昭35)10月23日、福島市生まれ。83年に防衛大を卒業して陸上自演隊入隊。96年(平8)国連PKOゴラン高原派遣輸送隊長。04年イラク先遣隊長、復興業務支援隊長。07~25年(令7)に参議院議員。血液型O。



