元TBSアナウンサーの久米宏(くめ・ひろし)さんが元日、肺がんのため亡くなった。81歳。所属事務所が13日、発表した。訃報を受け、各界の関係者が追悼の言葉を寄せた。1975年(昭50)10月に、当時主にラジオ番組を担当していた久米さんをTBS系「ぴったし カン・カン」の司会に抜てきしてテレビアナウンサーとしての道を開いたタレント萩本欽一(84)が日刊スポーツの取材に応じ、思い出を明かした。
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萩本は久米さんの司会抜てきについて「僕が久米ちゃんに決めた、って言うのは失礼かな。実は(フジテレビ)『欽ドン』のロケの時に、TBSラジオの『土曜ワイドラジオTokyo』の中継リポーターを久米ちゃんがやっているところに通りかかった。『足が長くてカッコいいのに、もったいないね。テレビをやれば』と」と回想。「『ぴったし』が始まる時に、司会は局アナの若い人がいいなとなって、プロデューサーが候補に挙げたのが、もう売れっ子だった小島一慶アナウンサーと久米ちゃんだった。僕が『若いほうがいい』って久米ちゃんを選んだんだけど、2人は同い年だった(笑い)。このいきさつが、後に久米ちゃんの耳に入ったんだと思う」。
司会に抜てきされた久米さんは、お笑いコンビ「コント55号」の萩本と坂上二郎さんがチームキャプテンを務める番組で一躍、有名になった。「久米ちゃんに『55号をたくさんぶっ飛ばしてください』って言ったの。気を使うといけないからね。そうしたら、本当にぶっ飛ばされたよ。二郎さんなんか『うるさい』って言ってたからね」と笑顔で振り返った。
最後に会ったのは、20年6月に久米さんがTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」を降板する時だという。「ずっと付き合いがなかったんだけど、最後に久米ちゃんが『欽ちゃんを呼んでくれ』と番組に出してくれた。うれしかったね。昔の『欽ちゃん、久米ちゃん』に戻って、2人でずっと話していた」と述懐した。「いろんな若い人と付き合ったけど、私の手の中にいたのは、ほんの2、3秒という感じ。アッという間に遠くに飛んでいって、一番大きな仕事をやっていた私の宝物です。本当に残念です」と悼んだ。【小谷野俊哉】



