吉永小百合(80)が、日刊スポーツ80周年を記念し、取材に応じた。1959年(昭34)に「朝を呼ぶ口笛」(生駒千里監督)で映画デビューし、翌60年に日活に入社。以後、25年の124本目の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督)まで、日刊スポーツの歴代の映画担当、番記者の取材を昭和、平成、令和と3つの時代にわたって受け続けてきた。日刊スポーツに残っていた思い出の記事をひもとき、忘れられない記者など、デビューからともに歩んできた歴史を振り返った。
3月6日付紙面に掲載されたワイド企画では触れなかった話題から、5つのテーマに分けて5回連載でお届けする。2回目は、1985年(昭60)10月21日付紙面から。吉永の代表作の1つ、62年の「キューポラのある街」などを手がけた、映画監督の浦山桐郎さんの仮通夜を報じた紙面を元に、同監督との関係や「キューポラのある街」撮影当時の思い出を振り返った。【村上幸将】
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紙面には「浦山先生ナゼ…小百合泣き崩れた 3度目のコンビ『夢千代』が遺作に」との大きな見出しがついている。記事には、吉永が10月20日の昼過ぎに、翌21日からクランクインする「玄海つれづれ節」(出目昌伸監督、86年)の衣装を探すため東京・六本木のブティック巡りをしている中で、うちの1軒のテレビに映し出された「浦山桐郎監督死去」のテロップで、浦山さんの急死を知ったと書かれている。
吉永は「キューポラのある街」、75年「青春の門・筑豊編」、そして浦山さんの遺作となった85年「夢千代日記」と3度、タッグを組んだ。当時の紙面には、仮通夜が営まれた都内の光母寺に駆けつけ、泣きながら取材に応じる吉永の写真を大きく掲載。「監督は1ダースの映画を撮るとおっしゃっていたので、6本は出させてもらうつもりでした。最後の作品『夢千代日記』でご一緒できたことが、せめてもの幸せと思っております」などのコメントが掲載された。吉永は紙面を手に、かみしめるように浦山さんとの思い出を語った。
「『夢千代日記』の時に、私が『このセリフは、言えない』って、わがままを言って、監督を苦しめたことがありましたから。監督は『1ダースの映画を撮りたい』って言っていらしたんですよね。9本で終わったのかな。途中でお加減が悪くなって…それも、残念だったでしょうし」
吉永は、多忙なスケジュールの合間を縫って、入院中の病院を見舞っていた。
「乃木坂の近くの、心臓のスペシャルな病院に入院されて、そこにお見舞いに行ったんですけど。その時は、おせんべいみたいなのをかじっていらして、大丈夫だと思ったんですけどね…」
「キューポラのある街」を「やっぱり、私にとって特別な作品です」と位置付ける。同作で監督デビューを果たした浦山さんは、当時、高校生だった吉永に対しても、役作りから妥協なく指導したという。一方で、涙を流すシーンで涙が出なかった時は待ち続けるなど、どこまでも寄り添ってくれたと振り返る。
「(演出で)どなるとか、そういうことは絶対、ないんですよ。ただ、端的にこうなんだよ、と指摘なさるのと、うまく芝居できなかったら、待ってくださる。子供達にもそうですけど、何度でもリハーサルして、待って良いものを作っていく」
新人監督ということもあったのだろう。製作の体制も、撮影もタイトだったが、浦山さんの手腕は巧みだったという。
「撮影は、12月だったと思うんですけど…大変な時期でしたけど、1カ月で、あれだけのものを作った。(ロケ地の)川口に泊まるなんて、ぜいたくなことはできないので、毎日、調布の日活の撮影所からロケバスで行って、撮影して。朝鮮の人たちが向うに帰る日の撮影は、明け方近くまでかかったことは覚えていますね」
「キューポラのある街」は、1962年(昭37)度のブルーリボン賞で作品賞、吉永の主演女優賞、浦山さんの新人賞と3冠を獲得。史上最年少の17歳で受賞した吉永は、大きく飛躍していくことになるなど、日本映画史に残る1本となった。また、劇中では公開当時、進められていた、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業も描かれており、歴史を伝える1つの資料としても再評価が進んでいる。(つづく)
◆「キューポラのある街」 鋳鉄溶解炉キューポラなどが林立する埼玉県川口市は、昔から鋳物職人の町。職人気質の炭たき石黒辰五郎(東野英治郎)は、勤めていた工場が大工場に買収されてクビになり、妻トミ(杉山徳子)長女ジュン(吉永小百合)長男タカユキ(市川好郎)次男テツハル(岩城亨)の5人家族は路頭に迷う。辰五郎はクビになった夜、トミが男児を産んだが、ヤケ酒を飲み歩いており病院へ顔を出さず、工場をクビにならなかった20歳の職工・塚本克己(浜田光夫)とジュンが介抱した。ジュンは運動神経も成績も良く高校進学を志したが、辰五郎はわずかな退職金もオートレースにつぎこみ、家計は苦しくなっていった。ジュンの親友の中島ノブコ(日吉順子)が、父が経営する会社で辰五郎の職が見つかった知らせてくれるも、新しい技術があふれた職場で、若い工員から勘を否定された辰五郎は、半月しかたたない中「会社なんかいけるか!」と酒を飲み始めてしまう。



