先月8月いっぱいで日刊スポーツを辞めた。晴れて浪々の身になった。かっこよく言えば“会社の飼い犬”から野良犬になった(笑い)。

何をしでかしたのかと心配する人もいるかと思うが、日刊スポーツは結構懐が深い。自分も含めて、いろいろやらかした人間を知っているが、ちょっとやそっとでクビにならない。なんとか更生させて、飯を食わせてくれた。

つまりは年を取ったのだ。先月末に65歳の誕生日を迎えて、定年後の再雇用もジ・エンド。堂々たる前期高齢者になった。社の規定に従って、正面から堂々と退場した。では、なんでこの芸能番記者を書いているかというと“余人をもって代え難し”と言いたいところだが、アルバイト記者として雇ってもらえたのだ。

具体的にどう違うのかと言われても、分からない。今までは“日刊スポーツ”という首輪を付けてネタを探して飯も食わせてもらってきたが、これからは首輪は貸してやるが、あとは自分の裁量で何とかしろと言うことだと勝手に解釈している。

それでも、会社を辞めるまでは、いろいろリサーチした。ライバル紙のデスクと会った時に、それとなく話を振ると「あんたと同い年の年寄りが戻ってきて大変だ」と愚痴を聞かされた。久しぶりに会った別の社の女性部長にすがろうとも思ったが、顔を合わせた途端に「相変わらず若ーい」とほめ殺しにあって、取りつく島もない。

一足先に会社とおさらばした同業他社の記者は、盛大な送別会を何回も開いてもらってリタイア。今は失業保険をもらうため、再就職する気もないのに会社の面接を受けるのに忙しいと聞いた。いろいろめんどくさそうなので、会社から提示された書類にサインして、とりあえずは“日刊スポーツの記者”のままだ。

最後の出社日となった8月31日には、出版社の友人が写真集「Sango」を9日に出版する武田久美子さんのインタビューを用意してくれた。おかげで鈴木京香さん、和久井映見さん、常盤貴子さん、鶴田真由さん、内田有紀さんから始まった“日刊スポーツのきれいな人担当”のフィナーレを飾れた。

最後の夜は浅草で「伊東四朗一座リターンズ!? in浅草公会堂」の取材。伊東四朗さん、三宅裕司さん、東貴博さんのトークショーで締めくくった。会場には、我らが神、高田文夫センセイがいらっしゃったのであいさつに行くと「古いことは、君にしか分からないこともあるんだから頑張れ」と温かい励ましの声をいただいた。

若き日に高田センセイの連載の聞き書きを担当させていただいたことが、どれほど勉強になり、その後の仕事に役立ったことか。10年ほど前に佐村河内守のゴーストライター問題が持ち上がった時に「オレは高田文夫センセイのゴーストだったからよ」などとうそぶき、正気に返って他人の口から耳に入る前にと謝りに行った時も「面白い!」と笑ってくれた。後半部分は記者としてはどうかとも思うが「おもしろ、おかしく、ホントかどうかは気にするな」という教えはしっかり守ってきた。

そして、フリー一発目の9月1日はオフ。年金事務所、保険の切り替え、ニッポン放送でサツアイ業務、眼科で緑内障の視野検査と午前中からあわただしく動いた。落ち着いたところで、デスクに電話すると、サラリーマン最後の前日にインタビューした武田久美子さんの記事をデカく組めるというので、会社に上がらずに自宅で原稿執筆。

時間的な余裕はたっぷりあったのだが、そこへTBS宇宙飛行士の秋山豊寛さんの訃報(ふほう)が飛び込んできた。年寄の最大の役目である追悼原稿を書いていると、悪天候で締め切りが1時間以上の繰り上げ。会社を辞めた初日から全力疾走。なんだったら、ここ1カ月ほどで一番、原稿の行数を書いた1日となりました。まだまだ、落ち着いて老ける日は来ないようだ(笑い)。【小谷野俊哉】