ベトナム戦争反対を訴えて米空母から脱走した元米兵クレイグ・アンダーソンさん(71)が50年前のことをテレビカメラの前で初めて激白した。アンダーソンさんは1967年10月23日、北ベトナム爆撃への補給で横須賀基地に停泊中の「イントレピッド号」から仲間3人と脱走。「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の支援で出国し、スウェーデンに4人で亡命した。アンダーソンさんらは「イントレピッドの4人」と呼ばれた。

 昨年10月、50年ぶりに来日したアンダーソンさんにMBSテレビが密着。ドキュメンタリーシリーズ「映像’18」として、「帰って来た脱走兵~ベトナム反戦運動・50年目の真実~」を29日深夜1時15分(関西ローカル)から放送する。

 来日前の昨夏、来日時の計約20日間、同番組はアンダーソンさんに密着した。昨夏、米国と国境を接するメキシコのティファナ。アンダーソンさんはアパートで1人暮らし。治安はよくない。

 「なぜ、メキシコに来たかと聞かれるでしょうね。1つはアメリカで暮らすのは物価が高い。もう1つはアメリカに飽き飽きしてしまった。ずっとどこかの国と戦争ばかりしている。居心地が悪いからさ」。古代史の研究をしているが、収入はわずかで、生活は年金に頼っている。

 祖父も父も軍人だった。4歳のとき、父が事故で負傷し働くことができなくなった。約12年後、父は自殺した。

 1965年、米国による北ベトナムへの爆撃(北爆)を機に本格化したベトナム戦争。当時、米国は徴兵制だった。アンダーソンさんは戦争への疑問を抱きながらも海軍を志願した。戦場で殺し、殺される可能性が高かった陸軍に徴兵されることを避けるためだった。

 「私の仕事はプレーンキャプテンという飛行機の燃料を補給したり、すべての機器が正しく動くかどうか。飛行機の離陸を誘導する任務だった。飛行機が村に爆弾を落としにいくのが分かっていた」

 20歳の米海軍航空兵だったアンダーソンさんは心を痛めていた。

 「いったいこの戦争はなんなんだ。攻撃はされていないが、こちら側だけが攻撃をする。自分がいじめっ子みたいだ」

 1967年10月23日、アンダーソンさんは米軍横須賀基地に入港中の空母イントレピッドから3人の米兵とともに脱走。4人は街角で日本の学生に声をかけ、紹介してもらったのがベ平連だった。

 「覚えているのはグループの人たちと何度も話し合いをしたこと」

 半月以上の間、東京や京都のベ平連のメンバーは自宅などに4人をかくまい、横浜港から旧ソ連の客船で出国させ、旧ソ連経由で中立国のスウェーデンに逃した。

 50年ぶりの来日したアンダーソンさんは言う。

 「第2次世界大戦が終わったとき、これで戦争が終わると思われていた。いま兵器の数は大幅に増えている。世界中が軍事化している。どの国が軍事化しているでしょうか? 日本です。みなさんの国ですよ。小さな軍隊ではなく大きな軍隊を持っています。なぜ日本は米軍の傘の下にいながら軍備を拡大させるのか。いずれ日本の自衛隊が米国に追随する形で海外で戦争するのではないか」

 半世紀前、4人が出国後、ベ平連は4人の安全を担保しようと、記者会見を開いた。4人が自ら脱走の理由を語った約30分の記録映画「イントレピッドの4人」を上映し、脱走の事実を公表。当時は大ニュースとなった。

 記録映画の最後には手書きの字幕が映し出される。

 「これは終わりはなく、始まりである」

 密着した津村健夫ディレクター(53)は「日本がこれから海外で戦争をするかもしれないということが現実味を帯びている。自衛隊から脱走兵が出てもおかしくない状況になっている。『これは終わりではなく、始まりである』は50年前の問題提起だが、これは予言ではなかったのかと思う」と語った。

 番組には多くのメッセージがこもっている。