1日付で現役を電撃引退した大江原比呂騎手(20=武市)について、師匠の武市康男調教師(53)が報道陣の取材に応えた。
以下、一問一答
-引退の経緯は
競馬、勝負の世界で長くやっていくには難しかった、というのが本音です。
-体重調整が難しかった
競馬の世界でやっていこうと思うなら全然体重もクリアできたと思う。そういうことができる子だと思う。ただ、いろいろな刺激がある勝負の世界でやっていく中で、心が折れてしまったのかな、と。
-本人から相談は
いろいろと相談はありました。少しずつ奮い立たせてあげて、次に向けて馬も用意してあげたりもしました。本人も体重超過で騎乗停止になって、その後盛岡のヤングジョッキーズに乗りにいった時に「どうだ、久々に乗って楽しいか」と聞いたら「面白かったです。やっぱり騎手をやりたいです」と言っていました。こちらも奮い立たせたけど、やっぱりいろんなことが、僕たちには分からないことも彼女なりには考えていたと思う。そこまでは僕もちょっと分からなかった。本人はこの世界で勝負師としてやっていくには無理かな、と。やっぱり馬主さんがいたり、他の調教師さんがいたりで成り立つ世界。中途半端に乗るのも失礼なので、第2の人生を歩んでみたい、というところです。
-今後については
うちで調教助手はどうだ、という話もあったんだけど、馬に対して興味がないわけではないけども、違う世界を見てみたい、第2の人生で違うことをやってみたい、と言っていたので、引退して競馬の世界はきっぱり諦めます、ということですね。
-最後に決断したのは
騎手免許を受けるかどうかが最後のところ。指をけがしてしばらく乗っていなかった2カ月間でじっくりと馬から離れて考えてみなさい、というところで、1月22日が騎手免許の更新試験。それまでにしっかりと返事をちょうだい、と言って、本人もいろいろと考えて、次何をしたいかもじっくり考えたでしょうから、その上で決断したことですね。
残念だけど合う、合わないもある。ずるずる引きずっていたら周りに迷惑をかけるしけがもしてしまう。こういったらあれだけど、いい決断だったと思う。まだ20歳ですし、やり直しも利くので。全然恥ずかしいことじゃないし、新たな世界で頑張れればと思います。
同騎手は昨年12月1日朝の調教時に右手小指を負傷し、同日の騎乗を取りやめ休養。11月30日中山7R(ゲキザル6着)が現役最後の騎乗となった。JRA通算198戦4勝。
祖父哲が元障害騎手で元調教師、父勝が蛯名正厩舎で調教助手、父のいとこ圭が現役騎手という競馬一家に生まれた。中学1年時に藤田菜七子元騎手の活躍に心を奪われ、騎手の道を志した。20年4月にJRA競馬学校に第39期生として入学。けがで1年の留年があり、24年に卒業。同年3月2日にデビューし、同6月9日に89戦目でJRA初勝利を挙げた。また、同7月の函館2歳S(ラインパシオン13着)で重賞初騎乗も果たしていた。

