サッカー現場発

聖地Jヴィレッジ復活 新時代も笑顔もたらす場所に

緑が映える一面の芝に、思わず目を見張った。20日、福島・Jヴィレッジが営業を全面再開した。11年3月の東日本大震災後に福島第1原子力発電所事故の対応拠点の役割を担い、ピッチは駐車場として使用されたと聞いていた。記者は当時、プロ野球の巨人担当だった。その時のJヴィレッジの姿を知らない。にもかかわらず感慨深くなるほど、快晴の下に広がる芝生は鮮やかで、美しかった。

19年4月20日、Jヴィレッジグランドオープンを祝して、いっぱいの風船放たれた
19年4月20日、Jヴィレッジグランドオープンを祝して、いっぱいの風船放たれた

震災当時を知る人々の感激はひとしおだった。Jヴィレッジスタジアムでは、震災以降初で約9年ぶりとなるなでしこリーグ公式戦「マイナビベガルタ仙台レディース-ジェフ千葉レディース」が実施された。視察したなでしこジャパンの高倉麻子監督は、福島県を故郷に持つ。「グラウンドに車が入ったり、JヴィレッジがJヴィレッジではない気がしたので、つらい気持ちになった。きれいにしてくれたのには、いろんな方の力があったと思います」としみじみ語った後、視線を上げて表情を引き締めた。「新たなスタートだと思う。新しい歴史を、みんなでつくっていきたい」。ワールドカップ(W杯)を前にした指揮官の、過去を受け止めたうえで未来へと突き進んでいく覚悟を感じた。思いは記念式典に出席した、日本協会の田嶋幸三会長も同じ。「サッカー関係者にとって、この日はスタートだと思っている」と力を込めた。

Jリーグ、ドーハの悲劇、W杯初出場、W杯日韓大会、なでしこ世界一-。平成のスポーツ界で、日本サッカーは幾多の歴史のページを重厚に刻んでいった。田嶋会長が「日本サッカーの発展は世界的にも今までの歴史上でもなかったスピードだった。Jヴィレッジで代表が技を磨き、若い選手たちが鍛えられ、指導者、レフェリーが養成されてきたことは、間違いなくその一番の大きな要因」と振り返るように、Jヴィレッジが日本サッカーにもたらした貢献度は計り知れない。

「平成」から「令和」へと時代が変わる直前、そのサッカーの“聖地”が復活を遂げた。令和の時代に入って初のオリンピック(五輪)となる来年の東京五輪では、サッカーの男女日本代表がここで事前合宿を行う。サッカーだけではなく、今年のラグビーW杯ではアルゼンチン代表が滞在地として使用し、今後はライブなどのイベントでも活用されていく方針という。新時代ではサッカーはもちろん、スポーツや文化の発展にも欠かせない存在として、人々に笑顔をもたらす場所であり続けてほしい。【浜本卓也】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

◆浜本卓也(はまもと・たくや)1977年(昭52)、大阪府生まれ。03年入社。競馬、競輪担当から記者生活をスタート。格闘技、ボクシング、プロ野球と巡り、18年12月にサッカー担当に復帰した。

19年4月20日、青々とした芝がはえそろい、Jヴィレッジがグランドオープンした
19年4月20日、青々とした芝がはえそろい、Jヴィレッジがグランドオープンした
19年4月20日、Jヴィレッジで行われたなでしこリーグ「マイナビ仙台-ジェフ千葉レディース」
19年4月20日、Jヴィレッジで行われたなでしこリーグ「マイナビ仙台-ジェフ千葉レディース」

日刊スポーツのサッカー担当記者が取材現場の空気を熱く伝えます。

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