新型コロナウイルスの影響による約4カ月の中断期間を経て、J1リーグ戦は4日に再開される。最大の注目はガンバ大阪のプロ23年目、元日本代表MF遠藤保仁(40)。同日のセレッソ大阪戦(パナスタ)に出場すれば、J1最多632試合出場で楢崎正剛(元名古屋GK)を抜き、歴代単独トップに躍り出る。

歴史の証人になるべく、「さあ!」と気合が入るのは、記者だけか。静かな無観客試合で、遠藤はただ、いつものように淡々と、正確なパスを通していくのだろう。終わってみれば、遠藤の活躍で勝っている。「ほら、だから遠藤はすごいんだ」。誰もがつぶやいているかもしれない。

記者は今年2月、遠藤の大記録を前に、父武義さん(72)と母ヤス子さん(70)を取材するため、鹿児島・桜島へ向かった。実家には、学生時代の活躍を示すスクラップブックが数え切れないほどあった。

鹿児島実時代の記事は、日刊スポーツの九州版でたくさん残っていた。すごい選手だと改めて感じた。その際、武義さんからこんなエピソードを聞いた。

あれは鹿児島実2年の高校総体予選。準決勝の当日朝、家から遠藤をマイカーで送る際、武義さんはこんな言葉を投げかけたという。「ヤット、今日はプロのスカウトがお前を見に来るらしいぞ。目をつけてもらうためにも、絶対に頑張れよ」。少し力んだ父親の言葉に、遠藤は「うん」。何の抑揚もない、いつもの返事だったという。「息子の気分を高めようと、かけた言葉だったんですよ。でも、ヤットは普通にプレーして、普通に勝って、そして普通に、全国大会へと勝ち上がっていきました」。武義さんの説明に、今もプロで成功している姿が、高校時代からあったのだと思った。その後、横浜フリューゲルスへ入団したのは、周知の事実。

芸術的なゲームメークの才能を育んだのは、中学時代だったようだ。「(鹿児島市立)桜洲小学校時代は基礎をたたき込まれ、桜島中学では当時、両ウイングに足の速い仲間がいたので、ヤットが少しでも得点機をつくるため、両サイドの選手を走らせて、ボーンと蹴って動かしていた。そういう感覚でサッカーをしていたのが今、役に立っているんですよ」止めて、蹴る。シンプルながら確かな技術で試合を組み立てる才能が、当時から芽生え始めていた。

そんな昔話を頭の片隅に入れ、大阪ダービーを見てもらえば、高校時代と変わらない、マイペースで淡々と勝利に貢献する遠藤の姿があるに違いない。

そして「ほら、だから遠藤はすごいんだ」。40歳のレジェンドの節目に、記者を含め、誰もがつぶやいていそうだ。【横田和幸】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「現場発」)

◆横田和幸(よこた・かずゆき)1968年(昭43)2月24日、大阪府生まれ。91年日刊スポーツ入社。96年アトランタ五輪、98年サッカーW杯フランス大会など取材。広島、G大阪などJリーグを中心にスポーツ全般を担当。