大切なのは続ける覚悟と準備-。カズ(三浦知良)がパルメイラス(ブラジル)でキリン杯に来日した1986年(昭61)以来、取材してきた荻島弘一記者(60)が35年間を振り返った。若き日のプロとしての覚悟、未来への準備…。53歳にはピッチで輝ける理由があった。

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Jリーグ開幕前の日本リーグ時代、読売クラブの練習後だった。六本木に出かける仲間と離れ、1人トレーニングルームで筋トレを続けるカズに声をかけた。「そんなに頑張らなくても十分じゃない?」。代表でも活躍し、クラブでもエース。ブラジル仕込みのキレキレのプレーに、これ以上の練習など必要ないと思えた。

ニヤリと笑ったカズの答え。「違うんですよ。今じゃない。先のため。40歳を過ぎてもプレーしたい。今やっておかないと。その時じゃ遅い」。30歳でベテラン、30代後半も珍しい日本リーグ時代だ。「40歳過ぎても」と言われても、夢物語にしか思えなかった。

50歳を超えてプレーする姿を見て、30年前を思い出す。本人は「そんなこと、言いましたか?」と否定するが、その時から「いつまでもプレーを」と、努力してきたことは間違いない。「若いころは無茶もした」と言うけれど、常にサッカーのことを最優先に、体調を気遣う姿も見てきた。

倍以上も年齢の離れた選手たちと練習し、ランニングでも先頭を走る。体のケアに時間をかけ、栄養管理も徹底する。しかし、年齢を重ねてからの努力だけで現役を続けているのではない。若いころから覚悟を決め、積み重ねたからこそ今がある。選手生命に関わるような大きなケガをしないのも、下地があるからだ。

かつては日本代表を外れたら引退を決断する潮時だった。代表経験者がベンチを温めたり、下のカテゴリーでプレーすることも異例だった。「引き際の美学」という言葉がある。大相撲やプロ野球などスポーツの世界でも絶頂期に引退するのが「美学」だった。

15年前、J1の神戸からJ2(当時)の横浜FCに移籍した。「カズほどの選手が」と言われても、本人は「どこでやっても、サッカーには変わりない」と話した。周囲の忖度(そんたく)や批判など関係ない。「ずっとプレーしたい」という純粋な思いでカズは走ってきた。

「98年のW杯に出ていたら、やめていた?」と意地悪く聞いたのは10年前。しばらく考えて「変わらないでしょ」と答えた。周囲は「常識」を覆してプレーする理由を探すが「長くプレーする」のはプロデビューした10代の頃からの思い。カズにとって、プロになるというのは「一生プレーで食べる」覚悟なのだ。

19歳のカズを取材した時25歳だった私は22日、60歳になった。30日には36年間務めた日刊スポーツを定年退社する。カズから多くを教えてもらった。選手と記者と立場は違うが「プロ」としての覚悟の大切さも知った。「一生記者として仕事をする」と誓ってこの道に入った。思いは少しも変わらない。これからも、カテゴリーは違っても「ずっと書いていきたい」と思っている。プロとして「やり続ける美学」を教えてくれたのもカズ。ピッチを駆け回る53歳の姿を見て、勝手に思った。「カズ、エールをありがとう」。

◆荻島弘一(おぎしま・ひろかず)1960年(昭35)、東京都生まれ。84年入社。スポーツ部でサッカー、五輪などを取材し、96年からデスク、日刊スポーツ出版社を経て05年に編集委員として現場に復帰。