サッカーW杯ロシア大会の1次リーグ第2戦で日本が対戦するセネガルのアリウ・シセ監督(42)がこのほど、日刊スポーツの取材に応じた。初出場ベスト8の快挙を遂げた02年日韓大会で主将だったMFが指揮官になり、今回はアフリカ勢初の4強以上を目指す野望を激白。初戦でポーランドを2-1で破り、日本に立ちはだかるレジェンドを直撃した。【取材・構成=木下淳、松本愛香通信員】

 黒スーツにドレッドヘアでサイドラインに立ち、一躍注目された。セネガルのシセ監督、今大会最年少42歳。現役時代は初出場の02年日韓大会で主将を務め、アンカーとして中盤の底に入った。開幕戦で前回王者フランスを破り、その日が国民の休日になったほどの旋風で8強へ。「美しい世代の1人になれたことは今でも誇りだ」と振り返る。

 今度は監督として4大会ぶり2度目の出場に母国を導いた。「16年ぶりのW杯出場は喜ばしい。あの舞台に再び偉大な選手たちを連れていけるから」。ロシアでは12年ロンドン五輪8強メンバーが軸。その「監督補佐」を11年から務め、マネ、MFクヤテ主将、今大会の初戦ポーランド戦で先制弾を挙げたMFゲイらを育てた。その後も協会に残り、世代別代表を指導。ジレス前監督の解任を受けて15年3月にA代表の監督に昇格した。「ロンドンから今日に至る。この世代の大半を7年前から知っている」と継続性を強調。レジェンドだからではなく、長年の関係で求心力を高めた。

 メンバー23人は全員海外組。活動は少ないが、その継続性で組織的なチームに仕上げてきた。シセ監督について、DFクリバリが「僕らに謙虚さをもたらしてくれた」と言えば、同国協会のマル技術委員長は「アリウ(シセ監督)が規律を整えた」と証言。遅刻が当たり前だったチームに厳格さを植えつけた。指揮官は「秩序だった組織になる必要があった。行政でもスポーツでも同じだよ。その上で謙虚さを、荷物の中に入れなければならない。セネガルの良い結果に反映されると信じて」と説明した。

 目標は大きく、自信もある。「02年は質の高い選手が多かったが、今回も莫大(ばくだい)なクオリティーがある。比較はしたくないが、また美しいW杯にしたいね。できるだけ、遠くへ」。具体的には「02年より良い結果(4強以上)を出す可能性が我々にはある」と明言。「遠慮はしないよ、狙っていくよ。してきた仕事に疑いはないから」と新たな歴史を書き記す。

 セネガルは初戦でポーランドを撃破。2-1のスコア以上の力の差を見せつけた。日本との勝者対決へ、勢いに乗ったアフリカ勢は手がつけられない、が定説だ。しかも、謙虚に。4大会ぶりに白星発進した後は会見で「次も難しい戦いになる。運動量が激しいチームだ」と日本を警戒した。セネガルでも、こう語っていた。「夢は大きく持たなければならない。だが、小さく始めなければならない」と。アフリカ勢初の4強という壮大な野心を描きながら、まず突破がかかる日本戦へ慢心はない。テランガ(おもてなし)のライオンの異名を取るセネガルが不気味に牙をといでいる。

 ◆セネガルのW杯 今大会が02年日韓大会以来、4大会ぶり2度目の出場。初出場だった02年大会は開幕戦でフランスと対戦。フランス人のブルーノ・メツ監督に率いられたチームは、組織的な守備とスピード感あふれる攻撃で前回王者を1-0で撃破した。1次リーグの残る2戦を引き分け、デンマークに次ぐグループ2位で決勝トーナメントに進出。準々決勝でトルコに延長戦で敗れたが、アフリカ勢の8強は90年のカメルーンに並ぶ最高成績となった。

 ◆アリウ・シセ 1976年3月24日生まれ、セネガル・ジガンショール出身。パリサンジェルマン、モンペリエ、バーミンガムなどで守備的MFやDFでプレー。代表デビューは99年で、02年W杯日韓大会では主将としてセネガルの8強入りに貢献。09年に現役引退。指導者に転身後はセネガルの世代別代表監督を務め、15年アフリカネーションズ杯1次リーグ敗退後にジレス監督が退任したのを受けて、同年3月に就任。