陸上男子400メートルの佐藤風雅(27=ミズノ)は虎視眈々(たんたん)とパリオリンピック(五輪)を狙っている。
昨年8月の世界選手権予選で自身初の44秒台となる44秒97をマークすると、準決勝では日本歴代3位の44秒88へと記録を伸ばした。今オフには3大会連続五輪代表の飯塚翔太(32=ミズノ)との合宿で、従来のスタート法を見直し、前半のレース運びを強化してきた。
すでに五輪の参加標準記録(45秒00)を突破しており、6月の日本選手権(27~30日)で優勝すれば初の五輪代表に内定。2位以下の場合でも、同選手権の成績や6月末時点での世界ランキング次第で代表入りが決まる。
5月4、5日(日本時間5、6日)の世界リレー(バハマ)では、男子1600メートルリレーに出場予定。昨季の経験も生かしながら、初の五輪切符獲得へ進化を続けていく。【取材・構成=藤塚大輔】
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■ブダペストで自信が確信に「壁を越えられた」
自信が確信に変わったのは試合中だった。
2023年8月20日。ハンガリー・ブダペスト。
世界選手権400メートル予選。5レーンの佐藤は、勢いよく走りだした。
序盤で中位につけ、前半を21秒56の2位で折り返した。300メートルを先頭と0秒02差の32秒90で通過すると、最後は自己ベストとなる44秒97の2位でフィニッシュした。
同組での自己記録こそ7人中6番目だったが、大一番で力を示してみせた。
「300メートルを先頭付近で通過した時、これはいけると思いました。バックストレートも感覚が良く、タイムが出ると感じました。自分よりも速いタイムの選手がほとんどだった中でも、ああいうレースができたので、しっかりと実力を発揮できたと実感しました」
隣のレーンには、12年ロンドン五輪金メダリストのキラニ・ジェームス(グレナダ)がいたが、堂々とレースを展開した。100メートルごとの通過タイムは、その全てで前年の世界選手権を上回った。
「予選ということもあって、まだ他の選手が仕上がっていなかった面もあったとは思いますが、去年のオレゴンとは明らかに違う手応えがありました」
飛躍の要因にあったのは、前半200メートルのタイムの安定。21秒台前半で入ることを目標に定めつつ、後半で余力を残すレースプランを確立させていった。
特に世界選手権の準決勝では、そのプランが数字に表れた。
200メートルを組3位の21秒09で通過。後半でやや失速したものの、自己ベストとなる44秒88をマークした。
「意識してきた前半で、今までの自分を超える力を出せたレースだった。力を思い切りぶつけることができて、壁を越えられたと感じました」
そして何より、大舞台を楽しむ余裕があったことが、1年前からの成長だった。
「オレゴンでは1本1本を全力で走るしかなかった。でもブダペストでは楽しむことができて、自分の力を出せば通用するという自信もありました。それで思い切り、勝負を仕掛けられました」
昨夏を振り返る声は、自然と弾んだ。
■飯塚翔太からの助言に「伸びしろがある」
この冬はレース前半に磨きをかけるべく、新たなスタートにも着手している。
助言を授けてくれたのは、ミズノの先輩にあたる飯塚翔太だった。200メートルのスペシャリストであり、世界大会のマイルリレーの経験もあるスプリンター。2月下旬から3月上旬にかけて、沖縄で合宿をともにした。
佐藤はかねて“飯塚マニア”だった。
「飯塚さんだけで20本以上はレースの動画を見ていると思います。社会人1年目の日本選手権の200メートルから全部見ました。合宿でも昔の話をさせていただきました」
そんな経緯もあって、昨冬の陸上教室で自ら懇願し、初の合同合宿を実施する運びとなった。飯塚の過去のレース話で盛り上がると、「よく知っているねぇ」と感心されるほどだった。
その憧れの先輩とのやりとりの中で特に学びとなったのは、序盤のコーナーの走り方。これまではスタート直後にすぐにレーンの内側へ寄っていく走りをしていた。内側を走れば、その分だけ最短で走ることができると考えたからだ。そのため、スターティングブロックへ置く右足も、意識的に内側へと向けていた。
ただ、飯塚にはその走りの問題点をすぐに見抜かれた。
「もっと真っすぐに走りだしたほうがいいのでは。50メートル付近までは両足を使って走って、そこから徐々に内側へ寄っていくイメージのほうがいいかもしれない」との旨のアドバイスを受けた。
思い当たる節があった。
「僕はすぐに内側へ寄っていく分、左足重心での走りとなっていたので、後半になると左足から限界がくることが多かったんです」
左足への疲労感が、後半でのタイムロスにつながっていた。
「足のパワーをどのように残すのかを考えた時、100メートルの選手のようにガツガツいく必要はないと勉強になりました。あらためて自分自身の技術はまだまだということが分かって、逆にその分だけ伸びしろがあると感じることができました」
飯塚の教えは、新たな気付きとなった。
目標は20秒台で前半を通過すること。沖縄合宿での学びも胸に刻みながら、さらなるレベルアップを目指している。
■初の五輪へは「優勝して行きたい」
今夏は初の五輪代表入りが懸かる。パリ切符獲得へは、日本選手権で3位以内に入ることが1つのラインとなるが、佐藤は優勝での代表内定に価値を置いている。
「日本選手権を優勝して、気持ちよく五輪に向かいたい。標準を切っているからこそのプレッシャーがありますが、その重圧に負けないようにしたい。標準を切っているのに選ばれないのが一番悔しいと思うので、優勝して五輪へ行きたいです」
その先には、92年バルセロナ大会8位入賞の高野進以来となる五輪での決勝進出を思い描く。
そのためにも、44秒50突破が第一目標だと見据えている。昨夏の世界選手権決勝では、自己記録が44秒台後半の選手は1人もいなかった。
「自己ベストが44秒50を切っていないと、なかなか決勝へは進めません。44秒50を切っている選手が44秒台後半で準決勝を通過するパターンはありますが、自己記録が44秒台後半の選手はレースで負ける可能性が高い。今年は実力を手にして、レースへ臨みたいです」
五輪で海外勢に勝つために-。
昨夏の経験とこの冬の進化を力に変え、勝負の1年に挑んでいく。
◆世界リレーでパリ五輪リレー種目の出場権獲得へ 各種目とも上位14カ国に入れば、五輪の出場権が付与される。男子1600メートルリレーの日本代表には、日本記録保持者の佐藤拳太郎、23年日本選手権王者の中島佑気ジョセフらが名を連ねている。
◆佐藤風雅(さとう・ふうが) 1996年(平8)6月1日、茨城県笠間市生まれ。友部中時代は野球部。茨城県立中央高から本格的に陸上競技を始め、3年時の14年全校高校総体(インターハイ)茨城県大会400メートルで優勝。15年から栃木・作新学院大へ進学し、17年関東インカレ2部で優勝。19年から足利銀行に就職し、20年から那須環境技術センターへ転職。同年の全日本実業団対抗で優勝。22年日本選手権で初優勝し、同年から2大会連続で世界選手権に出場。23年4月からミズノに加入し、同年世界選手権ブダペスト大会準決勝では日本歴代3位となる44秒88をマークした。