現在五輪が開催されているコルティナは、70年前に日本人が冬季五輪史上初のメダルを獲得した記念すべき場所である。1956年コルティナ・ダンペッツォ五輪アルペンスキー男子回転で猪谷千春さんが銀メダリストになった。
昨年、94歳になったご本人に当時の話を伺うと「亜熱帯のバナナ畑の国だろう? なんて言われて驚かれましたよ」と懐かしそうに笑った。あの頃、冬季五輪での日本の認知度はその程度だった。彼は初めて表彰台に上がった欧州勢以外の男子選手だった。
決勝1本目で6位につけた猪谷さんは2本目に勝負をかけた。アクシデントは第6旗門で起きた。旗を股で挟みそうになったのだ。コースアウトで失格の窮地を、彼はとっさに右足を180度開いて切り抜けたという。「無意識でした。長い間の鍛錬の賜物(たまもの)でしょう」と70年前の秘話を語ってくれた。今もアルペンスキー競技の日本唯一のメダルである。
ミラノ・コルティナ五輪フリースタイルスキー男子デュアルモーグルに出場した堀島行真を見て、あの猪谷さんの昔話を思い出した。2回戦の後半にエアで転倒したが「瞬時に頭に浮かんだ動き」(堀島)で、とっさに体を起こして後ろ向きでゴールした。相手の米国選手が先にコースアウトしていたので勝ち上がって銀メダルを獲得できたのだが、あれはまさに「鍛錬の賜物」だろう。
米国の大学に留学していた猪谷さんは、足腰を鍛えるために勉強中もイスを使わない「空気イス」で机に向かった。集中力を高めるため授業中はノートを取らずに記憶したという。堀島も拠点のノルウェーで1日100本近くエアを跳んで技の再現性を高め、日々の記憶をノートに書き込んでいた。そんな地道な努力の積み重ねがあるから、非常事態でも踏ん張れたのだ。 4年に1度の夢舞台は緊張もするし、硬くもなる。ふだん通りの実力を出せる選手は一握りだ。雪と氷という自然を相手にする冬季五輪は「まさか」という事態も度々起きる。だから単に競技力を高める準備だけでは勝てない。「何が起きるか分からない」ということまで考えて、心と体の揺るぎない土台を築く。それが重要なのだ。
日本時間17日早朝、フィギュアスケート・ペアフリーで、ショートプログラム(SP)でリフトに失敗して5位と出遅れた三浦璃来、木原龍一組が、感動的な世界歴代最高点の演技でペア日本勢初の金メダルを獲得した。失意のどん底からわずか1日。何という強さ、底力だろう。日本人初メダルから70年。記念の地で日本のメダルラッシュが続く。「バナナ畑の国」も今は昔。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)









