新型コロナウイルスが少しずつ収束に近づき、移動自粛も全面解除。徐々に元の生活へと戻りつつある中で、今回の自粛期間中に、2009年にセルビアのベオグラードで行われたユニバーシアードを思い出した。

国際大会では必ず選手たちが安心・安全の中で競技が行えるよう、たくさんのボランティアや警備の方々の手によって大会期間中の生活が守られている。オリンピックやユニバーシアードなどの選手村がある大規模な大会では、出入りの際は厳重なセキュリティーを通り、選手村全体が高い頑丈な塀で囲われ、選手村内も一定間隔で警備の人が配置されていた。そのおかげで治安が悪いと言われている国でも安心して過ごすことができていた。

当時のセルビアは内戦の影響が色濃く残っていた時代。私たちが生活している塀の向こう側がどうなっているのか見ることは出来なかったが、人が歩く影や声はよく聞こえていた。言葉こそ理解はできなかったが、きっとその周辺に住んでいる人たちもこちら側がどうなっているのか気になっていたのだろう。塀の下の狭い隙間からはよく子供の手が伸びていた。

安全のために外部との接触は禁止されていたが、警備の目を盗み、私は補食に持っていたリンゴをその塀の下から見える小さな手の上に置いた。

してはいけなかった事かもしれないが、その高い塀の外から聞こえる子供の喜んだ声を聞いて救われた気持ちになった。おなかがすいていたのだろうか、それともこちらが反応したことが面白かったのだろうかと想像を膨らませた。

そして、選手村を1歩出ればさらにその国を感じられた。

選手村近くのスーパーに買い物に出かけた帰りに、1人の幼い男の子が私の持っていたスーパーの袋に手を突っ込んでお菓子を取って走って逃げたのだ。

その事態にとても驚いている私に、周りの大人たちはその子を追いかけて必死でそのお菓子を私に返そうとしてくれたが、その子はお菓子を握りしめて離さなかった。私は正直お菓子なんてどうでも良かった。何なら持っているお菓子を全部あげたい気持ちだったが、それはしないように言われていたためグッと堪えた。初めての出来事でとても怖かったが、その子供の行動を見て、胸が締め付けられた。そしてとても切なくなった。

私も子を産み、日々、母が子を想う気持ちを学ばせてもらっているが、わが子がそのような状況にならずに済んでいるのも日本という恵まれた国に生まれたからだろう。

そして私も競技を通じて世界の文化や普通では目にすることのできない日常生活を見られたからこそ、想える事だと思う。

平和な日本で生きてきた私たちにとって、今回の新型コロナウイルスから学ぶべきことはたくさんあったと思う。平凡な日常がどれだけ恵まれていたのか。日本に生まれたことに感謝するとともに、娘にもその事を伝えていかなければいけないと感じている。そして出来ることなら彼女にも世界は広いということを身をもって経験してほしいとひそかに願っている。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)