東京五輪の余韻にひたることを許さないように、新型コロナの感染拡大が続いている。東京都の新規感染者数は1日5000人を突破し、全国では2万人を超えた。それでも、感染状況とは関係なしにパラリンピックの開幕が近づく。

大会を目指すアスリートたちは今、本番に向けて最後の調整に入っている。17日には日本選手団の結団式が行われ、20日には全国各地で採火された聖火が東京で集火される。各競技会場や選手村などを五輪仕様からパラ仕様に転換する作業も急ピッチ。パラリンピックは、もう目の前だ。

「パラリンピックの成功なくして、東京2020大会の成功はない」。何度も聞いてきた言葉だ。大会組織委員会が掲げた大会の理念に「多様性と調和」がある。五輪だけではない。パラリンピックでの発信がなければ、真に「多様性と調和」の大会とは言えない。

本来ならば、五輪閉幕からパラ開幕までの2週間は「五輪の盛り上がりをパラにつなげる」期間だった。しかし、ウイルスの猛威におされて、派手なイベントもできず。「パラリンピックムード」もない。開催されることすら知られていないのでは、とも思う。

1964年の東京五輪の時も、直後にパラリンピックが行われた。とはいえ、当時はほとんど知られていなかったのではと思う。実際に、当時はほとんど話題にならなかった。記者も、98年長野五輪の時に歴史を調べて初めて知った。

主競技場は渋谷区の織田フィールド(代々木公園陸上競技場)。五輪選手村の練習用グラウンドで開会式や陸上競技が行われた。会場の代々木体育館は、エントランスにパイプいすを並べただけ。アーチェリーは選手村の広場で行われた。基本的に無観客。招待客が見守るぐらいだった。

「64年パラリンピック開催で、障がい者の環境が変わった」と言われるが、どこまで社会に届いたかは疑問だ。日刊スポーツも11月8日の開会式こそ7面のメイン記事だったが、翌9日は小さな扱い。大会から10年ぐらいは、渋谷駅のガード下で腕や脚を失った傷痍(しょうい)軍人が物乞いをしていた。子ども心に「かわいそう」だったし、正直「怖い」とも思った。まだ、そんな時代だった。

東京はパラリンピックを2回開催する初めての都市になる。しかし、半世紀前の大会とは違う。参加選手数は400人弱から10倍以上になり、開催は5日間から13日間になった。何よりも日本人の障がい者への意識が変わったはずだ。

五輪終了で、世間の話題は新型コロナと豪雨災害に移ったが、パラリンピックはすぐに始まる。真の「多様性と調和」とは何か。パラアスリートの取材をしていると、感じることも少なくない。1回目とはまったく異なる2回目の東京パラリンピック、少しでも多くの人に見てもらいたい。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)