柔道の世界選手権は7日にカタール・ドーハで開幕する。不思議な縁を感じながら、その舞台に立つ柔道家がいる。高市賢悟、30歳。元日本代表は今大会から、台湾代表のコーチに就く。昨年現役を引退した後は、所属先で会社員として勤務。思いも寄らぬオファーを受け、退路を断ち、国外で指導者として歩み出した。教え子のターゲットは男子60キロ級で東京五輪金メダルの高藤直寿。期せずして、大学で同期の大親友に相対することになった思いとは-。
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画面越しに見る知己の先輩は、技ありを取ってしのぐ展開ではなく、劣勢から1本を取り切って1回戦を突破していた。
「いつもとは違う何かを、剛志先輩から感じました」
4月29日、全日本選手権の2回戦、東海大、旭化成で1歳上だった王子谷剛志が、勢いある若手のグリーンカラニ海斗と組み合っていた。
残り2分26秒で、片袖や片襟のみをつかんで勝負を決しようとしない指導を取られた。3つで反則負けとなる危機で試合を再開し、数秒後だった。けんか四つの逆技、左の大外刈りで畳に打ち付けてみせた。
「今日は調子良いんだな」
高市は、日本武道館から2000キロ以上離れた台湾で、その映像を見つめていた。日本を離れて2週間以上が過ぎていた。
台湾代表コーチ。その肩書は今年の正月には想像できなかった。
先輩の勝ち名乗りを見終わると、画面を閉じて、その日も指導へ向かった。
「2月ですね。連さんから、台湾でコーチを探してるって」
国際大会で戦うトップ選手で東京五輪にも出場した連珍羚からの一報だった。大学2年で来日した台湾柔道界の中心的な人物から、思いがけない誘いだった。
「すごいスピードで話が進んで。3月に正式に台湾内で承認、申請が通って。契約は4月1日から。連さんが全てをつないでくれました」
連は、昨年結婚した妻の未来と同じコマツ所属で、古い友人でもあった。
「高市未来」、旧姓は田代未来。
リオデジャネイロ、東京と五輪2大会に出場し、大けがを幾度も乗り越えながら、3度目のパリを目指す最中にいる。「高市」という言葉は、いまその妻の名字として柔道界に継がれている。
夫は、柔道とのつながりは1度、切らざるを得なかった。
■東海大2年で海老沼破る番狂わせV
その名前が一躍クローズアップされたのは14年だった。
東海大学2年の新鋭は、4月の全日本選抜体重別選手権の畳にいた。
準決勝、世界選手権2連覇中だった海老沼匡から一本勝ちする番狂わせを演じ、21歳の誕生日のその日に、初出場で初優勝をさらった。
愛媛県立とべ動物園の飼育員父敦広さんが、日本で初めてホッキョクグマ「ピース」の人工保育に成功し、その過程で小学校に入る前に自宅で約3カ月間、一緒に生活した経験があることも、耳目をひきつけた。
「リアル金太郎」は、日本軽量級の主役の1人になった。
その年の世界選手権で初の日本代表になり、3位決定戦で敗れての5位。翌年も阿部一二三をまじえた代表争いを勝ち抜いて2年連続の日の丸を背負った。
結果は初戦敗退。リオデジャネイロ五輪出場へ、前年、前々年にアピールしきれずに、東京五輪での雪辱を期した17年。
「すごい大切な大会だと分かっていたので。きつかったですね」
日本代表につながる10月の講道館杯の1週間前だった。乱取りで押し込まれてついた左ひじから異常音が響いた。靱帯(じんたい)を損傷し、救急車で運ばれて手術となった。
リハビリに4カ月ほどかけると、引き手の後遺症は感じなかったが、東京へ向かう選考レースでは巻き返せないほどの大差がついていたのが現実だった。
「代表争いに絡めなくて、しんどかったですね」
名門の旭化成では成績を残せなければ、自由度が多い待遇も許されない。それまでの拠点としていた関東から、部の道場がある宮崎・延岡への移住を伝えられたのは19年。
重量級が多い環境で、組み際ではまずは力を受け止める毎日を続けた結果、軽量級と試合で向き合えば技出しが遅くなった。得意の担ぎへの判断が鈍る。生命線がむしばまれては、再びの日の丸は遠くなる一方だった。
「最後の3年間は本当にうまくいかなかったですね。もう1回日の丸を背負いたかった気持ちはずっとありました」
所属先から部員としての契約切れを通達されたのは、22年1月。
5月の全日本強化選手選考会の2回戦の延長2分33秒、偽装攻撃で3つ目の指導をもらって反則負けしたのが、現役生活の幕切れとなった。
「旭化成はそのまま残って社業をすることができます。もう、柔道はあきらめて、社員として生きていく道に進みました」
都内に移り住み、会社員となった。
「自分がやるべきことは未来のサポートと思ってて。彼女がパリまで頑張ると決めたので」
22年11月に結婚した。
だから、1度は自分個人と柔道との縁は切れたと思っていた。それから3カ月後の台湾からの知らせとなった。
「旭化成には本当に感謝してます。でも、指導者という思いはずっとあって…」
妻も背中を押してくれた。
「『やってきなよ』って」
退社を決め、台湾に渡った。
■東京五輪60キロ級銀の楊勇緯も指導
託されたのは、メダリストの輩出だった。
東京五輪の60キロ級で銀メダルを獲得した楊勇緯(ヤン・ヨンウェイ)の登場で、五輪の強化競技として期待を集めている流れがあった。
「見ているのは男女です。若い世代も、どういう選手が強くなりそうかっていうのもわかれば判断してほしいと。パリに向けての強化はもちろんですが、長い目でもみてほしいと言われてます」
契約は24年8月31日までだが、28年ロサンゼルス五輪を見据えての選定も期待される。
現在は国際大会で結果を残している選手が数人。
現地で行った指導者講習会では、道着の握り方の基礎を誤解しているケースも見られた。
アイフォーンの翻訳機能に頼りながら、頭にも汗をかく。
その中で、当面は楊を中心に練習パートナーなども務めていく。
男子60キロ級。
いま、君臨するのは高藤直寿。東京五輪で悲願の金メダルをつかんだ親友だ。東海大2年時にはルームメートで、同じ軽量級。ずっと畳の上で濃い時間をともにしてきた。
楊は、東京五輪の決勝で高藤に敗れている。
「楊選手のコーチに、という話で受けたわけではなく、台湾のコーチとしてきたら、楊選手がいた。たまたまですが、自分でもすごいストーリーになっているなと感じます」
親友のライバル選手を支える事になる。経緯を高藤に伝えた。
ずっと日の丸を背負い続け、世界のトップを張る。よく知っているからこそ打倒は簡単でないと分かる。ただ、実際に楊と練習の日々を共にし、感じた。
「本当に金メダル目指せるなって。なんとかして、なんとかして倒したい。自分が海老沼先輩に勝ったときみたいに、なんとかしてという気持ちで自分もやりたいです」
全体練習後に必ず技の研究にいそしむ真面目さなど、楊の金メダルにかける思いに、背筋は伸びる。
正々堂々、立場は変わって、初めて畳の上で相対する事になる親友を見据える。
まずは、世界選手権から。
選手として再び立つ事はかなわなかった大舞台に赴く。
「東京に向けてに3歩、引退して5歩くらい下がっていた感じでしたが、一気に戻った感じがしています」
ドーハでは妻未来の試合も見守れそうだ。
再びつながった柔道をめぐる縁を感じながら、再び最前線に並ぶ。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「We Love Sports」)