男子100キロ級の2016年リオデジャネイロ五輪(オリンピック)銅メダリスト羽賀龍之介(33=旭化成)が3回戦で敗退した。

初戦の2回戦を旗判定の3-0で突破したが、続く3回戦で自身より20キロ重い佐藤和哉(29=日本製鉄)に苦戦。代名詞の内股をかけにかけ続けたが、旗判定1-2で力尽き「もう結果が全て。判定は割れてましたけど負けた試合だと思います」と潔く認めた。

毎年、前日28日に誕生日を迎えて挑む神聖な大会。昨年までの直近4大会で3度の決勝進出を果たしており、新型コロナ禍の20年に初優勝。21年と23年は準優勝と健在ぶりを印象づけていたが「次につながる年齢でもないですし、年々苦しくなってくる中で(大会最年長として)意地でも後輩たちに負けないよう、力を振り絞れた。悔いはないです」と涙をこらえながら語った。

昨年の決勝後は、こう話していた。

「リオの後、東京五輪の代表になれなくて、コロナがあって。その中で初優勝した全日本に価値を感じたんですよね。これを何年、続けられるか。今からパリの100(キロ級代表)も厳しいし、全日本に気持ちが向いている感はあります。あと5年も10年もできないけれど(トップの実力維持を前提とする)優勝候補じゃなくなるまでは。優勝候補じゃないと感じた時には引退だと思うので、その時までは、まだまだ頑張ります」

1年後。この点について問われると「まだそこはお答えできないです、すみません」と丁寧に返しつつ「優勝候補かどうかは、見ている人、そして自分自身がすごくよく分かっている。自分自身と相談したい」とした。

今後については「自分1人では…。最終的には自分で判断するんですけど、こればっかりは、いろんな人との相談が必要なので。ちょっと1回、考えて。でも本当にここまで1年かけて準備してきたので、今は少しこう、何て言うんですかね。達成感って言葉は合っていないかもしれないんですが、1つ、戦い終わったっていうホッとした気持ちでは正直、あります」と神妙に語った。

同期の五輪73キロ級2連覇王者、大野将平(33=旭化成)は昨年、第一線から退いた。同じく同期の橋本壮市(32=パーク24)は、同73キロ級のパリ五輪代表に最年長で選ばれた。その中で自身は、日本で最も権威ある大会に専念。昨年11月に全日本柔道連盟の強化選手を辞退し、国内大会に専念することを決めたばかりだった。

「何としても、この大会でまた優勝したい気持ちが強くあった。その中で、何かを捨てないと強烈な目標に走れないなと判断して。パリ五輪とか世界選手権とかは区切りとして辞退させてもらって。だからこそ、この大会で結果を残すことが必要だったんですけど、準備して頑張ってきたので結果を受け入れるしかないという感じですかね」

試合後は、旭化成を中心としたスタンドの大応援団にあいさつし、ねぎらいの声と拍手を受けていた。

東海大相模高1年時に、金鷲旗大会で史上初の20人抜きを達成。高校、大学と日本一になり、ユニバーシアード大会も制覇。旭化成では15年の世界選手権で金メダルを獲得したが、翌16年のリオ五輪では悔しい銅メダルに笑顔はなく、日本代表のプライドを貫いた。

その後は負傷と闘いながら、苦悩しながら、コロナ禍の全日本で存在感を示した。長く100キロ級を引っ張ってきた第一人者。今年は最年長選手として選手宣誓も任された中、最後は内股を重ねて「持っているもの全て振り絞る気持ちで、最後、戦いました。一体感のある雰囲気で。これからも全日本が日本最高の大会であり続けるといいな、柔道選手として、こんなにありがたいことはないな、と思いながら、今日は最後、試合をしました」。目を潤ませながら、聖地・日本武道館で万感の表情を見せていた。【木下淳】