17歳が、夢の切符をつかんだ。グランプリ(GP)ファイナル銀メダルの中井亜美(TOKIOインカラミ)が、来年2月のミラノ・コルティナ五輪での夢舞台初出場を決めた。
フリー136・06点、合計213・56点で4位。初の表彰台こそ逃したものの、シニア1年目に破竹の快進撃で2枠目の出場権を引き寄せた。世界を驚かせ続けるニューヒロインが、本紙に独占手記を寄せた。
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4歳の時、テレビでバンクーバーオリンピックの浅田真央さんの演技を見て、私もこんなふうになりたいと憧れました。
5歳でスケートを始めた頃から毎日のように書いていたスケーターズノート。今も当時のノートをとってあるのですが、そこには「しょうらいのゆめ オリンピックにでること!」「さいごまであきらめない オリンピックにでたい」と大きな字で書いています。
その夢を今日、かなえることができて本当にうれしいです。
新潟にいた小学生時代が、私の原点です。本当に優しい友人たち、とても思いやりのある先生方。私は人に恵まれました。
6年生の時のことは、よく覚えています。全日本ノービス選手権の直前、終礼で前に座るように言われて待っていたら、クラスメートが大きな旗を持ってきてくれました。そこには「目指せNo.1」や「夢に向かって頑張れ」など、たくさんの応援メッセージが書いてありました。それがすごくうれしくて、今も実家に飾っています。一番の思い出で、今もエネルギーの源になっています。
フィギュアスケートを始めたアイビスSCのコーチ方も、かけがえのない存在です。クラブを離れるのはとても名残惜しかったし、残って欲しいと言ってくれました。それでも、私の決断を尊重してくれ、「楽しんで何でも挑戦しなさい」と優しく後押ししてくれました。その言葉が、今につながっていると感じます。
出てきたばかりの時は、不安で、みんなに会えないのはすごく寂しかったです。でも、いつでもメッセージで励ましてくれたり、地元に帰ったときには変わらずに接してくれる仲間がいたことが、大きな救いでした。
そして、姉と父を残して、一緒に千葉に出てきてくれた母。小6の時、「このままじゃダメだと思う」と言った私に、移籍先のMFアカデミーを見つけてくれました。どんな時も「やりたいことなら全力でサポートする」と背中を押してくれます。
こっちにきて、大人になって、ママの大変さがよりわかるようになりました。毎日夜遅くまで練習が終わるのを待っていてくれたり、おいしいお弁当をつくって持ってきてくれたり…。いつも一番近くで支えてくれるママには、本当にありがとうの言葉しかありません。
中庭先生をはじめとするコーチの皆さん。MFアカデミーのみんな。スポンサーさん。私1人では、ここまで来ることはできなかったと思います。支えてくださった全ての方に感謝したいです。
本当にありがとうございました! (26年ミラノ・コルティナ五輪代表)
◆10年バンクーバー五輪の浅田真央 06年トリノ大会は年齢制限のため出場できなかったため、19歳の時に満を持して五輪初出場。女子史上初めてSP、フリーで計3本のトリプルアクセル(3回転半)を成功させ、自己最高の合計205・50点で銀メダルを獲得。日本女子の五輪表彰台は伊藤みどり、荒川静香に次ぐ史上3人目の快挙だった。


