【世界フィギュア秘話】宇野昌磨「優勝」は何のため…あの日から1141日、見られた景色

ついに世界一になったフィギュアスケート男子の宇野昌磨。2017年から本格的にフィギュアスケートを取材し、宇野の言葉に耳を傾けてきた松本航記者が、モンペリエでの世界選手権で聞いた言葉とともに、これまでの発言を振り返り、その偉業に迫ります。

ストーリーズ

松本航

<22年フィギュアスケート世界選手権フランス大会>


世界選手権男子で初優勝した宇野(中央)。左は鍵山(ロイター)

世界選手権男子で初優勝した宇野(中央)。左は鍵山(ロイター)

「うれしかったな。良かったな」

信頼する人たちが、みんな笑っていた。それが首にかけられた、光り輝く金メダルよりもうれしかった。

2022年3月26日、フランス南部のモンペリエ。フィギュアスケートの世界選手権男子フリーを終え、24歳の宇野昌磨(トヨタ自動車)が初めて世界の頂点に立った。

出場は6度目だった。

2度の冬季オリンピック(五輪)、今季の中止を除いて4度参加したグランプリ(GP)ファイナルを含めると、全世界の実力者と競演する12度目の機会で初めて見られた景色だった。

得点発表を待つ「キス・アンド・クライ」には、左に2度の世界選手権優勝を誇る37歳のステファン・ランビエル・コーチ。右に43歳の出水慎一トレーナーが座っていた。

ほほえむ宇野が言った。

「一番うれしかったのはやはり、終わった直後、ステファン・コーチとか出水さん、マネジャーさんが、喜んでくださった。『すごくよかったね』と言っていただいて、みんなテンションが高い光景を見ました。『うれしかったな。良かったな』という気持ちになりました。『自分のために、というよりも、支えてきてくださった人のために、と考えた方が緊張もしない』と思っていました」

“あの日”から、1141日がたっていた。

初優勝した宇野の演技(ロイター)

初優勝した宇野の演技(ロイター)

シルバーコレクター

取材を続けてきた身には驚く言葉が、宇野の口から飛び出したことがあった。

2019年2月9日、米アナハイム。4大陸選手権初優勝で出席した、メダリスト会見でのことだった。

「1位という順位になれたことはすごく素直にうれしいですけれど、世界選手権(3月、さいたまスーパーアリーナ)では、もっともっと練習した上での『優勝』を目指したいなと思っています」

スポーツを主として取材していると、よく耳にする「優勝を目指したい」という言葉だった。響きが良く、見出しにもなりやすい。

だが、2017年から本格的に取材をしてきて、宇野自らが「優勝」と切り出したのは、初めてだった。

従来も世界トップを狙える実力があったが、書き手のこちらも「初優勝を目指す」ではなく「初優勝が懸かる」といった表現を用いるのが習慣になっていた。

突然の“優勝宣言”には理由があった。

初優勝した宇野の演技(ロイター)

初優勝した宇野の演技(ロイター)

2日前のショートプログラム(SP)後のことだった。ホテルのベッドで出水トレーナーのケアを受けていた。何げなく続いた1時間の会話で、宇野の心に響いた言葉があったという。

「昌磨には世界選手権で1位をとってもらいたい。その方針で、今年1年やりたいと思っていた」

元々は練習の成果を試合で発揮できるか否か、にこだわってきた。その満足度に重きを置いていた。出水トレーナーの言葉を聞いて、会見で「優勝を目指したい」と宣言したという。当時の宇野は、こう言った。

初優勝した宇野の演技(ロイター)

初優勝した宇野の演技(ロイター)

「『1位をとる』っていうのが『自分のためではなく、みんなのため。他人のためになるんだな』って思えた。それが『1位にこだわりたい』と思った、一番の理由ですかね」

後日、私が聞いた話がある。出水トレーナーにとって、あれは理想の声掛けのタイミングではなかった。

「本当は、あれはアナハイムの時に言おうとした言葉じゃなかったんです。世界選手権の時に言おうと思っていたけれど、SPの結果を見た後に、あの言葉を私が使っちゃった」

4大陸選手権のSPで宇野は4位と出遅れていた。

「彼は『シルバーコレクター』と言われていた。頂点を取れる力があるのに、このままいくと万年2位が当たり前になる感じがしていました。長い年月で見ると、タイトルを取っているかで人生が変わってくる。そこに欲を持っていけないと、最後は勝てない。昌磨みたいな自然なスタイルもいいけれど、ちょっとしたピースが最後に合って、パーフェクトな演技をしたら1位になれる。その結びつけをしたいと思いました」

1カ月後の世界選手権はSP6位と出遅れ、総合4位。そのシーズン終了後には当時のコーチから巣立ち、国際大会での成績が低迷する時期も過ごした。

1つの失敗を恐れる演技が続き「もうすぐ引退なのかな」と考えた。ランビエル・コーチと出会い、立ち返ったのは結果にとらわれず、スケートを楽しむ気持ち。自ら「優勝を目指したい」と言うのも、3年前が最後の機会になっていた。

取材者の1人として、アナハイムで抱いた思い、以降の出来事は「苦い教訓」で終わったと思っていた。

だが、真相は少し違った。

世界選手権男子で初優勝した宇野(中央)。左は鍵山(ロイター)

世界選手権男子で初優勝した宇野(中央)。左は鍵山(ロイター)

優勝一夜明け、丁寧に言葉紡ぐ

2022年3月27日。世界選手権のエキシビションを控えた「モンペリエ・アリーナ」の周辺には、ピクニックを楽しむ人たちがいた。地中海の街をどこか穏やかな空気が包んでいた。

世界王者となった宇野も一夜明け、落ち着いた表情となっていた。取材場所のソファに腰掛けると、現地を訪れた私たちの質問に対し、丁寧に言葉を紡いだ。

その場で、どうしても聞きたかったことがあった。

私は3つ目の質問で「アナハイムの時に『世界選手権で優勝を目指したい』と言った気持ちは、リセットされていたか」と尋ねてみた。宇野ははっきりと、あの時の言葉を覚えていた。

世界選手権男子で初優勝した宇野(中央)。左は鍵山(ロイター)

世界選手権男子で初優勝した宇野(中央)。左は鍵山(ロイター)

「さいたまの時は自分にプレッシャーをかけて、結構珍しく『優勝したい』という気持ちを前に出して試合に挑みました。『いずれ、それをしなければ僕は、もう1歩、上にいけないのかな』という考えでした」

話は、世界選手権以降の苦しんだ時期へと移った。

「その時はそう思っていたんですけれど、その結果、割と苦しい試合になったと思います。練習でも、その後も苦しい日々が続きました。だから『その時と一緒(の気持ち)かどうか』と言われたら、僕の中では結構違うんですけれど…」

そう前置きして、結論を出した。

金メダルを手にする宇野(ロイター)

金メダルを手にする宇野(ロイター)

「ただ大元となる『優勝すると皆さんや一番近い人たちが喜んでくださる』というのは分かってはいました。『自分のため』というよりも『支えてくださった皆さん』のため。日々頑張るのは『自分のため』と思うんですけれど、試合の時は本当に『周りの人のため』という気持ちがありました。身の周りの人というのは、優勝じゃなくても本当に喜んでくださる。それが自分の中で分かっているので、前よりは『優勝しなきゃ』という気持ちは、そこまでなかったと思います」

「優勝」に対する意識は3年間で変化していった。

だが、向かい風の中でも、目に見えない根の部分は、太く、強くなっていた。

宇野が周囲を、周囲が宇野を思う気持ち-。その信頼関係なくして、日本男子3人目の世界王者誕生は実現しなかった。