【秘蔵写真】今も耳に残る藤波辰爾の叫び 84年「雪の札幌テロ事件」

1984年に起きた新日本プロレス「雪の札幌テロ事件」。38年前のカオスを現場写真とともに振り返る。

バトル

小堀泰男

藤波辰爾(21年9月17日)

藤波辰爾(21年9月17日)

昨年の9月、67歳の藤波辰爾はプロレス・ヒートアップ川崎大会で98年新日本IWGPヘビー級以来となるシングルのベルトを手にした。

ヒートアップの「ユニバーサル&PWLWORLDCHANPIONSHIP」2冠王者のTAMURAからコブラツイストでギブアップを奪い、タイトルを奪取。「(デビュー)50周年の年にこんなビッグなプレゼントがあるとは。若いころを思い出させてくれてありがとう」と充実感を漂わせた。

これまでいくたの名勝負を重ねてきた藤波だが、思い起こされるのは84年に起きた新日本プロレス「雪の札幌テロ事件」。38年前の記憶をたどった。

写真でたどる72年新日本旗揚げ~84年雪の札幌テロ事件

◆藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)1953年(昭28)12月28日、大分県東国東郡武蔵町(現国東市)生まれ。70年に日本プロレス入りし、71年5月に本名の藤波辰巳でデビュー。72年に新日本旗揚げに参加し74年から海外修行。85年にIWGPタッグを獲得し、プロレス大賞MVP。88年にIWGPヘビー級王座戴冠。宿敵長州との対決は「名勝負数え歌」の異名を取る。90年に現リングネームに。95年に無我(現ドラディション)を旗揚げ。99年6月に新日本社長就任、04年に退任。185センチ、105キロ。

72年 新日本旗揚げ

72年 新日本旗揚げ

78年 海外修行を終え帰国

78年 海外修行を終え帰国

78年 剛竜馬とWWWFジュニア王座タイトルマッチ

78年 剛竜馬とWWWFジュニア王座タイトルマッチ

83年 長州力と名勝負数え歌

83年 長州力と名勝負数え歌

83年 逆サソリ固めで長州を攻める

83年 逆サソリ固めで長州を攻める

83年 前田日明(左)と

83年 前田日明(左)と

1984年2月3日…そして事件は起きた

新日本プロレスに前代未聞のテロ事件が発生した。1984年2月3日、雪まつりでにぎわう札幌市の中島体育センターは、超満員の7000観衆で埋まっていた。

藤波辰己(辰爾)と長州力による「名勝負数え歌」の総決算とされたWWFインターナショナルヘビー級選手権。花道を入場する挑戦者長州に、「前座の実力者」と称された藤原喜明が鉄パイプを手に襲いかかり、ひとしきり暴れるとファンの波に紛れるように姿を消した。額を割られた長州の顔面は鮮血に染まる。

藤波辰爾との対戦で鮮血で顔を染め暴れる長州力

藤波辰爾との対戦で鮮血で顔を染め暴れる長州力

鮮血で顔を染めた長州力(左)は藤波辰爾(中央)に襲いかかる

鮮血で顔を染めた長州力(左)は藤波辰爾(中央)に襲いかかる

異常を察知した王者藤波がリングに上がり、混乱の花道に視線を送る。長州は維新軍の仲間に支えられてリングにたどり着き、制止を振り切ってマットを踏んだ。もつれ合う2人に新日本本隊、維新軍が入り乱れて収拾がつかずに試合は不成立、ノーコンテストとジャッジされた。

興奮し、混乱した藤波は仲裁に入った山本小鉄審判部長をボディースラムで投げ捨て、坂口征二選手兼副社長にも殴りかかる。そして、黒のショートタイツとリングシューズのまま雪が降り積もる会場外に飛び出し、タクシーを拾って走り去った。

追いすがる報道陣に藤波が一方的に残した激しい言葉が、37年が過ぎた今も鮮明に耳に残る。

「俺の気持ちがお前たちに分かってたまるか! こんな会社、明日にでも辞めてやる! 試合なんかしたくない! 猪木さんに言っておけ。俺は絶対に謝らないからな!」

雪が降る中、興奮状態で記者の質問に答える藤波

雪が降る中、興奮状態で記者の質問に答える藤波

しかし、藤波は翌日の苫小牧大会以降もリングに上がり続け、貝のように口を閉ざした。負傷した長州、テロの実行犯藤原はしばらくの間、リングを離れた。

「下には下がいることを忘れるな!」。藤原は長州を襲いながらこう吐き捨てていたという。総帥アントニオ猪木の練習パートナーにしてボディーガードだった、強いが地味な中堅レスラーは、これを契機に一気に耳目を集め、対長州維新軍の先頭に立つことになる。

裏で操った首謀者、実は・・・

新日本は前年からタイガーマスクの電撃引退、猪木社長体制転覆を狙ったクーデター未遂事件と激震続きだった。それに追い打ちをかけるようなテロを裏で操った首謀者が、実は猪木であったと、その後に一部関係者が証言している。ただ、いまだに多くの謎が残されたままだ。

タクシーに乗り込み会場を後にする藤波

タクシーに乗り込み会場を後にする藤波

札幌大会から2カ月後に新日本を離脱した前田日明をエースに第1次UWFが旗揚げされ、ビッグネームにのし上がった藤原も後に合流を果たす。さらに9月には長州らが退団してジャパンプロレスを設立し、ジャイアント馬場率いる全日本に戦いの場を移した。

栄華を誇った新日本は急坂を転げ落ちるように斜陽の時代を迎えるが、そのリングで孤軍奮闘し、支え続けたのはクーデター派の中心人物とされ、あの夜、反猪木の姿勢と退団を明言した藤波だった。

新日本札幌テロ事件は昭和のプロレスの伝説になっている。期待していた試合が消滅し、激高した多くのファンが「カネ返せ~!」と関係者に詰め寄るなどカオスを極めた北都の会場。目の前で繰り広げられた蛮行の深層で、本当は何が起こっていたのだろうか。