14年ソチ五輪から3大会出場となったサード吉田知那美(30)は、勝敗を超えた価値を考え抜いた4年間を過ごしてきた。

その支えとなったのは、宇宙飛行士の野口聡一さん(56)からかけられた言葉だった。平昌より輝く銀メダルは悔しさもある、ただ、結果以上の大事なことを探し求めた、見つけた大会になった。

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もう、直前まで悔しさで曇っていた顔はなかった。「私、野口さんの言葉がなかったら、この記者会見でふてくされていたままだったと思います!」。この4年間の大事な道しるべをくれた人だった。

18年平昌五輪で銅メダルと取ったからこそ、悩みは募った。「勝てない私たちに価値はないのか」。勝って知名度が上がった。では、負けたらどうなるのか。そんな不安に、一緒に向き合ってくれた。

18年に対談の機会を得た。カーリングとの共通点もあった。宇宙船で過ごすクルー同士で厳しい訓練を行い、互いに弱みを見せ合う。緊急時にも対応できるように、絆を深めていく。それはロコ・ソラーレというチームの求める姿と一致していた。野口さんは「この五輪は、失うものはなく、勝っても、負けても得るものしかないんだ」と大会前には諭してくれたという。

決勝戦後、取材に応じた第一声は「う~ん」。顔は険しかった。「いいゲームをしたかった。それが最後の最後の試合でできなかったっていうところがすごく悔しい」。ただ、言葉をつなげるうちに、「得るもの」の方に気持ちが向いていくのが分かった。「悔しい気持ちでこの五輪を否定したくないな。この思い出はうれしい気持ちで残したい」と言い聞かせた。

「この競技が好きで、このチームが好きだからっていうのは絶対に忘れちゃいけなくて。まず一番に自分たちが氷の上で楽しむっていうこと」。それが「らしさ」で価値あること。戦いを終え、野口さんの言葉を胸に、そう思えた。「うれしいです! うふふ」。最後は、ついに大きな声で笑えた。それは勝敗に関わらない答えを見つけた姿だった。【阿部健吾】

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◆野口聡一(のぐち・そういち) 1965年(昭40)横浜市生まれ。91年に東大修士課程修了。IHIに入社後の96年、国際宇宙ステーション(ISS)の組み立てや運用に参加する宇宙飛行士として宇宙開発事業団(現JAXA)に入社。2005年、日本人として初めてISSで船外活動を実施。09~10年にはISSに約5カ月半滞在。20年には米国人以外では初めてクルードラゴン宇宙船に搭乗。ISSで約5カ月半滞在し、さまざまなミッションに取り組んだ。

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