日本人選手として初めて五輪個人2冠を狙った小林陵侑(25=土屋ホーム)が、ラージヒルで銀メダルに輝いた。6日のノーマルヒルに続くメダル獲得となった。

決勝1本目は最長142・0メートルを飛び、テレマークもしっかり決めて147点でトップに立った。2本目に向かう前に「もう1本あるんで集中したい」。2位につけるリンドビクとは2・2点差という僅差。2回目も138・0メートルの大ジャンプを披露した。だがリンドビクが2本目に140・0メートルを飛び、合計296・1点を挙げて逆転し、金メダルを射止めた。

陵侑は6日のノーマルヒルで104・5メートル、99・5メートルの合計275・0点をマーク。72年札幌五輪70メートル級(現ノーマルヒル)の笠谷幸生、98年長野五輪ラージヒルの船木和喜以来、日本人3人目の金メダルを獲得した。その歓喜から6日、今度は得意とするラージヒルでも偉業に挑んだ。

1924年から100年近く続く五輪のジャンプ競技で、個人2冠は過去3人(のべ4度)しかいない。88年カルガリー大会で70メートル級、90メートル級の個人2種目に加え、団体90メートル級の計3種目で金メダルの「鳥人」マッチ・ニッカネン(フィンランド)。02年ソルトレークシティー、10年バンクーバー大会の2度達成した「ハリーポッター」ことシモン・アマン(スイス)。そして14年ソチ大会のカミル・ストッフ(ポーランド)。ストッフは18年平昌大会のラージヒルも制し、ニッカネンに並ぶ金3個を獲得している。

それら伝説のジャンパーに肩を並べるまでに成長した。

陵侑は98年長野五輪のフィーバーぶりを知らない。96年生まれでまだ当時1歳3カ月だった。新たなブームを巻き起こそうとしている陵侑は「過去のものになりつつあるジャンプのファンをもう1回呼び戻したい」。そのためには結果が必要と理解し、自らが起爆剤となってジャンプ人気を高めたい考えだ。

今季はワールドカップ(W杯)で7勝を挙げ、年末年始の伝統の4連戦「ジャンプ週間」を制すなど絶好調。その勢いのまま五輪に臨み、優勝争いを演じている。次は14日の男子団体で、98年長野五輪金メダルの再現を狙う。「鳥人」陵侑の挑戦は続く。【保坂果那】

◆冬季五輪日本選手1大会複数メダル 過去8人が達成しジャンプでは3人。1大会最多タイ3個のメダルを獲得したのが98年長野五輪の船木和喜。LH、団体で金、NHで銀だ。同五輪で原田雅彦は団体金、LH銅、14年ソチ五輪で葛西紀明がLH銀、団体銅の2個を獲得している。

ジャンプ以外では、1大会3個を獲得したのが18年平昌五輪女子スピードスケートの高木美帆。団体追い抜きで金、1500メートルで銀、1000メートルで銅だった。2個は、94年リレハンメル五輪で複合の河野孝典、18年平昌の女子スピードスケートで高木菜那、小平奈緒がいる。金を2個獲得したのは船木と、高木菜の2人だけだ。