北京オリンピック(五輪)スピードスケート代表唯一の現役女子高生、堀川桃香(白樺学園3年)が10日、5000メートルで五輪初出場する。白樺学園からの五輪スピードスケート代表選手輩出は、76年インスブルック大会の大山三喜雄、川原正行以来13大会連続。全国高校別トップの31人目となる。同高を全国屈指のスケート強豪校に引き上げた故坂井俊行監督の教えを受け13年から指揮を執る和田貴志現監督(45)に、その伝統と、時代に合わせ微調整されながら受け継がれる“白樺の流儀”を聞いた。
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白樺学園が生んだ31人目のオリンピアンが、大舞台に登場する。同高在学中に五輪に出場するのは92年アルベールビル大会の糸川敏彦以来2人目の快挙だ。教え子堀川の五輪デビューを前に和田監督は「右も左も分からないはず。とにかく自分の全力を出し切ってほしい」とエールを送った。
46年間受け継がれる日本が誇る五輪スケーター“虎の穴”。98年長野大会500メートル金メダルの清水宏保、94年リレハンメル大会銅メダルの堀井学らを輩出してきた。その1番の功労者が、68年から37年、指導した坂井元監督。3年目の70年に全国高校スケート初優勝に導き、76年インスブルック大会代表の大山、川原を始め、19人のオリンピアンを育てた。
高校時代に坂井氏の教えを受け、強豪富士急コーチなどを経て13年に就任したのが、OBの和田現監督。特にメンタル面で“イズム”を引き継いでいる。
和田監督 坂井先生はスケート未経験者だったが、一生懸命、私たちに接してくれた。気持ちが伝わってきて、この人を信じていけばいい、というのが土台にあった。信じてもらえる指導者に。選手は指導者を信じられるように。強くなるにはそれが大事。“サカイズム”は人間力。私も、そうなれるよう、今でも勉強中です。
指導のスタンスは明快。選手に的確かつ段階を踏んだステップを提示しながらも、押しつけはしない。
和田監督 勝ちにこだわらせるというのは伝統にある。勝っている選手の技術、ペース配分はこうだよと。ただ、いきなり高木美帆選手みたいに滑ろうとしても無理。1カ月、1年、そして将来と、段階を踏んだ目標を立てさせている。できるだけ本人の意見を聞きながら。頭ごなしにならないように。
和田監督が就任した際には、時代に合わせ、良い伝統と、なくしてもいいしきたりを精査した。
和田監督 風呂に入ったら先輩より先に上がるな、というようなルールがあった。そういうのはやめた。1回ゼロにしようと。先輩のお茶が少なくなったら後輩が注ぐという暗黙のルールもあった。それは絶対ではないけど、そういう気遣いができるのは格好いいよ、と。規則ではなく口答で話して伝える。大人になる上で本当に必要なことを理解した上で、身に付けてもらえたら。
和田イズムも融合し、時代の変化に即した「令和スタイル」で心身を鍛え、次代のトップアスリートを育てていく。【永野高輔】
▼和田監督が、13日の女子500メートルに出場するスピードスケート陣最年長の郷亜里砂(34=イヨテツク)にもエールを送った。郷も白樺学園OGで、山梨学院大時代にはコーチとして直接指導した。平昌五輪後、一時は引退も、復活して五輪切符をつかんだ教え子に「平昌五輪までも簡単なスケート人生じゃなかった。苦労した分、自分を研究できる選手。旗手まで務めて、うれしい。ずっと応援してます」と話した。
◆坂井俊行(さかい・としゆき) 1942年(昭17)12月23日生まれ。65年に白樺学園体育教諭に赴任。バレーボール部監督を経て68年にスケート部監督就任。同年の高校総体1500メートルで辻正敏が優勝し、同高初の優勝者を輩出。翌69年同大会リレーで初優勝、70年には総合初優勝。指導にあたった05年までの37年で男子24度、女子10度の総合優勝を記録。アベック優勝は85、87、97、98、03年の5回。個人優勝は男子が27人で51回、女子が13人で33回に上る。76年インスブルック五輪の大山三喜雄、川原正行を始め、98年長野五輪500メートル金メダルの清水宏保ら19人の五輪選手を育てる。日本スケート連盟強化コーチ、JOCジュニア強化コーチも歴任。05年11月8日、ぼうこうがんのため死去。享年62。
◆和田貴志(わだ・たかし)1976年(昭51)5月24日、帯広市生まれ。帯広川西小1年時にスケートを始める。現役時代は中距離で活躍し、白樺学園高3年時に全道高校1500メートル5位。山梨学院大に進み、卒業後は2年間、実業団メッツのコーチを務めた。02年ソルトレークシティー五輪、06年トリノ五輪で日本代表コーチ。04年から3年間は富士急コーチ、07年10月から13年3月まで山梨学院大コーチを務め、同年4月から白樺学園監督。




